03月20日のクラス   クラス情報へホームへ | 2005年度時間割・カレンダー

やったこと
@ 周辺化の復習

A 祖先は「なぜ」移住してきたんだろうか? 

B ”日本”と”外国人  

C 台湾と外国人労働者
配布資料今日のレジュメ。 後はPowerPointでしました。
関連URL
中華民国憲法 日本国憲法 戦傷病者戦没者遺族等援護法 イラク人質事件
関連新聞記事
美國國務院:台灣人口走私與虐待外勞情形嚴重!2007/01/24 阿川亭ニュース特集、台湾の外労 外国人研修制度・技能実習制度

@ 周辺化の復習 

 前学期からこのクラスにいる人には、まったく復習なのですが、もう一度確認しておいてもいいかなと思い、〈周辺化作用〉って何なのか、みんなで考えたことを復習しました。まとめると、周辺化とは、

1)資源を奪われること
2)教育/メディア/言語に関して、自分たちのものではないものを、強制されること
3)粗雑な話で表象されること
4)中心に関心を持たないと生き難くなること
5)自分たちの歴史/自分たちの話は、主観的で権威のないものとされること
6)いつも中心に代表されること/代弁されること

 という六つのポイントになりました。これで全部なのか?と言われると、私たちが考えなかったいろいろな面がまだ存在するでしょうね。この六つについても、十分に「言えている」かどうか、定かではありません。でも、これが、今までに私たちが考えてきたことだ、ということは確認しておきますね。

 下で〈外労〉のことを問題にしますが、外労はなぜ台湾にやってくるのか―それは金のためである・・・こういう言い方は間違っているか正しいかという前に、極めて〈粗雑な〉お話であることは間違いないですね。まさに3)で言った「粗雑な話で表象される」という意味で、周辺化されているといえます。

 また、「金のためにやてくる」という話は、外労の送り出し地域(国)が、経済的な”後進国”であり、われわれ(台湾という)先進国との間には、先進―後進、あるいは、都市的―田舎的、という周辺化の関係が作られている、とも言えると思います。

 周辺(先住民や田舎やアジアやアフリカ)を「伝統的社会で、進歩がなく、不自由な社会」だ、として、中心を「進歩的で自由な社会」とする〈お話〉は、以前にエドワード・サイードさんという人が書いた「東方主義」(日本語では「オリエンタリズム」)の一部分を読んだときに議論しました(去年の10月24日)よね。

A 祖先は「なぜ」移住してきたんだろうか? 

 さて、宿題で、自分の家族はどこから移住してきたのかを調べてきてもらいました。宿題を出してくれた18人の人の分を表にしてみました。

本人の出身 祖先はどこから? コメント
札幌市 帯広・釧路・・・? でも、北海道に昔から住んでいる和人というのはいないから、日本から移住したはずですね。さて、どこからだろうか?
鳥取県 鳥取、岡山 鳥取と岡山は隣の県ですね。祖先もずっと、その近辺なんだろうかね。
芦屋 因島、兵庫、熊本、東京、大阪 東と西から来た家族ですね。
京都 京都、肥後 この家族はほぼ京都近辺で、あまり移住したことがないらしい。
東京 台中(福建)、熊本 台中と熊本からきた家族ですね
台湾 ?州(福建) 3代前に福建から移民
台湾(どこ?) 福建 祖父が移民5代目。
基隆 台中・高雄(祖父母) これは、まだ、調べが足りませんね。
草屯 泉州(福建)⇒霧峰⇒大里⇒草屯 何代前かは分かりませんが・・・。
沙鹿 安渓(福建)⇒梧棲⇒沙鹿 何代前かは分かりませんが・・・。
彰化 彰化・台北 でも、二代前までしか調べてないね。
高雄 嘉義、台東 二代前までしか調べてないね。
台南 福建 祖籍は福建、国籍は台湾と書いてるね。
河南省 台湾 お父さんが軍人だったんだね。
マカオ 福建 お父さんの世代にマカオに移住したんだね。
新竹 新竹 二代前までしか調べてないね。
台北 台北・台南 二代前までしか調べてないね。
鹿港 福建⇒彰化 お爺さんの代に移住したわけだね。

 提出していない人たちは調べなかったのかな?それとも、提出するのを忘れたの?まだ、受け付けてます。出してくださいね。本当に何代も前にまで遡って家族の辿ってきた道筋を調べるというのは、簡単ではないかもしれません。いろいろな複雑な事情があって、あまり話したくないことというのもあるでしょうし。(出身地を調べるというのは、例えば日本では「部落差別」などと関係して、してはいけないこと、タブーであると言えるかもしれません。)でも、ここから分かるのは、比較的、移動しないで同じ地域に暮らしてきた家族と、比較的大きな移動(移住)をして現在の場所に落ち着いている家族とがいる、ということ。

台湾への移住

 台湾の漢人の場合には、主に戦前の福建からの移民と、戦後の国民党と一緒に大陸のいろいろな場所から来た移民とがいる、と言っていいでしょうか。彼らはなぜ移民してきたのか?

 国民党の場合には、移民の理由は「共産党との戦いに敗れたから・・・」と言うかもしれませんが、それは単純・粗雑に過ぎるでしょうね。そもそもなぜ国民党に参加したのか、なぜ国民党と一緒に行動するようになったのか(あるいは一緒に行動させられたのか)というところには、一人ひとりに複雑な物語があるのではないでしょうか。無理やり連れて来られてしまった人々もいる一方で、戦争で土地が奪われ、貧困状態を何とかするために国民党に参加した人もいるでしょう。イデオロギーだけで国民党に参加したという人だって、いないことはないかもしれない。

 戦前に(それこそ14世紀ころから)福建から台湾に移住した人たちは、明清が植民地台湾から資源を収奪する労働力だったと言われます。その人たちは男性が中心で、彼らは台湾の平埔族(平地の原住民)女性との間に子供を作ったことが知られています。家族関係が出来てくると、単に労働力として存在するのではなくなって、暮らしを持ち、家や土地を守り・・・という移民生活が始まりますね。親戚関係も複雑にその土地に根を張ることになります。そうやって、何代もかけて台湾に定着してきた。でも、そもそもは労働力として、いわば”金のために”台湾に移住してきた・・・そういう言い方も成立するかもしれません。


北海道への移住

 日本の北海道は、17世紀までは”日本”にとって外国でした。日本の政府は、アイヌを外国として扱った記録があります。それが、17世紀になって、松前藩という東北地方を治めていた地方政府が自分たちの植民地にしていく。何度もアイヌとの間に戦争を繰り返しながら、最後には武力でアイヌを圧倒します。その結果、北海道を「開拓する」ということで、開拓民を日本から北海道に送り込み、今のように「ほとんどが日本人(和人)」という北海道を作り上げた。誰もいない場所をゼロから開拓した・・・そういうわけではなくて、先住民の土地を植民地にしたわけです。

 その意味で、北海道は”日本”の最初の植民地。で、次が琉球(沖縄)。台湾、韓国と続きます。

植民地の独立

 植民地に移民した人々は、そこで(上述の福建から台湾への移民と似て)子供をなし、家族を作り、土地や家をもって、生活を作り上げていきます。何代も経つと、植民地が自分の故郷となり、宗主国から独立した主権と経済を求めるようになります。そのようにして”独立”した国々がたくさんあるのが、例えばアメリカ(Americas、アメリカ合衆国だけではない)ですね。北中南米の国々は、殖民した人々が祖先の出身地である宗主国から独立した。だから、先住民にとって、それが”自分たちの国”であるのかどうか、大きな問題を残します。独立したのは植民者たちであり、植民者たちから周辺化された存在であることは、独立を果たした後も同じですから。

 ボリビアという国では、最近になって、史上初めて先住民が大統領になりましたが、他のほとんどの国では、今でも植民者の支配が継続しています。(2006年1月、モラレス大統領が初の先住民大統領として宣誓。)支配層を「植民者」と呼ぶのは、しかし、すでに妥当ではないのかもしれません。だって彼らは自分たちこそ、その国の生え抜きの、地元の国民だ、と思っているのだから。
   

越境させられた人々

 でも、じゃあ、植民者たちに奴隷として連れてこられ、自分たちの意志ではなくその土地で周辺化されてしまった人々にとって、独立後の国は「自分たちの国」といえるのかだろうか? 例えば、アメリカ合衆国に連れてこられた西アフリカからの人々は、今ではアメリカ合衆国国民になっているけれど、形式上、そのようになるまでには長い戦いの歴史がある。

 このほかにも、植民地時代には、宗主国がその地域を上手に収奪するために、自分が持っているほかの植民地から労働者や技術者などを移住させています。アジアでは、例えばイギリスは、インド人、中国人を、東南アジアの植民地に移住させている。インド人は警備など保安維持の仕事を、中国人は経理などの仕事で。もちろん、単純に労働者として連れてこられる人たちも多い。

 上では福建から台湾への最初のころの移住者たちは、労働者であり、金のために来たとも言えるといいましたが、その中に、自分の意志ではなく労働者として買われて(奴隷ですね)やってきた人々もいたのかもしれません。


アメリカ合衆国の移民問題

 アメリカ合衆国は「移民の国だ」と言われますね。「人種の坩堝」などとも言われますね。こういう言い方を額面通りに受け取る前に、いろいろ考えることがあります。

 まず、「坩堝」(melting pot)ということが理想のように言われた時代は、建国から1870年代までの期間でしょうか。実際にmeltするというか、meltすべきだと想定されたのは、<旧移民>と呼ばれるヨーロッパ出身の(概ねプロテスタントの)白人たちです。「坩堝」という理想の中に、黒人も、アジア人も、その他の非ヨーロッパ系は一切想定されていないものですし、1880年代以降のヨーロッパ系移民=<新移民>の中の非プロテスタント(ユダヤ教、カソリック、ギリシャ正教など)は明確に区別される存在です。この「坩堝」時代の<旧移民>たちこそ、現在までアメリカ合衆国の主流を形成してきた人々で、その意味では「移民の国」という言い方にも妥当性はあると言えます。ついでに、第二次世界大戦以降の移民は<新々移民>になるらしい・・・。今、上で問題にしているのは、この<新々移民>。

 さて、その後、国家建設、経済発展のためにアメリカ合衆国は多くの移民労働者を”搾取”してきました。前にも例に出したことがありますが、ジャッキー・チェンの映画なんかに出てくる西部の鉄道労働者の大部分は中国人なんですね(2006年3月7日のクラス記録参照)。ところが、その中国人たちが鉄道建設の目処が立ってしまうと、今度は邪魔になる。使い捨てにしたいのに、そのままアメリカ合衆国に居つかれてしまっては困るわけです。下の簡単な年表の「1882年の中国人排斥法」―これ、連邦法ですよ!―は、そうした事情で出来上がったものです。使い捨てにされたのは、中国人だけでなく、綿農場や漁業に従事したフィリピン人なども同じでした。

この簡略年表は、ちょっと日本人移民に偏ってますが・・・一応出しておきますね。

1871年 インディアナ州で、異人種間結婚を禁止する州の権限を裁判所が認める。
      以後、テキサス州(1877年)、アーカンサス州(1875年)、ルイジアナ州(1907年)なども同様。
1875年 最初の移民法  売春婦・犯罪者の入国禁止。
      異人種間結婚の制限が強まる。
1882年 中国人排斥法 中国人の移民を禁止(1943年廃止)
      移民法改正 精神障害者・白痴・罪人・生活保護対象予想者の入国禁止
1885年 外国人契約労働者法  外国人契約労働者の募集禁止
1891年 移民法改正 一夫多妻者・伝染病患者・貧民・前科者の入国禁止
1903年 移民法改正 外国人無政府主義者の入国禁止
1906年 東洋人学童排斥命令発布(サンフランシスコ)
1907年 移民法改正 同伴者なしの16歳未満の子供入国禁止
      日米紳士協定 日本移民の入国制限
1913年 外国人土地所有禁止法を制定(カリフォルニア州)
      このとき28の州が異人種間結婚禁止法(非白人の白人との婚姻を禁止する法律)を有していた。
1917年 移民制限法成立 アジア人入国禁止 識字テスト法成立(字もろくに読めない人は排斥)
1921年 日本人の農地借地を禁止する外国人土地法制定(ワシントン州)
      移民割当法  国別移民数の上限設定(1910年を基準年とし、各国出身者数の3%が各国移民数の上限)
1922年 合衆国最高裁、日本人はアメリカへの帰化権を持たないと判決。日本人は「帰化不能外国人」と規定される。
      (オザワ判決)
1924年 「出身国別割当移民法」が施行(1890年基準年、3%→2%に) 。
      「帰化不能外国人」である日本人はアメリカへ移民不可能になる、いわゆる排日移民法
1942年 ルーズベルト大統領が大統領命令9066号に署名。日系人の強制収用開始。
1965年 移民法改正 アメリカ市民・移民の家族に最優先基準
1990年 移民法改正 移民数の上限引き上げ54万人/年→70/万人年
      家族優先→専門技術者優先   共産主義者/「性的逸脱者」の受け入れ禁止廃止


 こういうことと関係があるのは、(年表内にも出しておきましたが)異人種間の婚姻禁止に関する法律で、ヴァージニア州は一番最初(1600年代)から同法を持っていて、連邦最高裁がこれを違憲と裁定したのは1965年だったと記憶します(公民権法の制定と同じ時期)。ごく最近、1999年に最後の州アラバマ州が同法を廃止するまで、立派に法律として存在していたのです。

 WASP(White Anglo-Saxon Protestant)=旧移民に、新移民の中の”優秀な白人”を加えたものが、現在までのアメリカ合衆国の主流を形成し、それ以外の人々が公民権を目指して運動し、運動し、運動して何とかアメリカ合衆国に居続けているという事情が、上記の年表から見えるでしょうか?

 去年の3月から5月にかけての全米で行われた移民法改正への抗議デモに参加した多くの人は、”不法”移民ではなく、新移民の子孫と新々移民(これも二世、三世の時代に突入している)ですよ。


理想のための移住と、金のための移住

 旧移民は理想のために移住した・・・しかし、それ以後の移民はいい生活や金のために移民してきた・・・旧移民たちが血と汗で築き上げたアメリカ合衆国から、おいしい汁を吸おうとしている・・・そのような考え方があるとしたら、それは妥当な考え方だろうか?

 

B “日本”と“外国人” 

 “日本”は1952年に独立するとき、旧植民地出身者をすべて問答無用で「外国人」にしました。つまり、これらの外国人たち(主に在日コリアン)は、日本が作り出したものです。外国人というと「外から入ってきた人々」という感じがしますが、日本の場合には、これは額面通りには妥当しません。
 さらにクラスでお話したのは、日本は単純労働者を(台湾のような形では)受け入れていないこと。例外は、@興行ビザ(エンターテイナーのビザ)で日本にやってくるアジア人女性⇒多くは、セックス産業で働くことになる。A外国人のエリート(言語教師、技術者、外国企業の社員など)。B技術研修生(という名目での単純労働者・・・ただし1年だけ。中国が主だけれどインドネシア、タイ、ベトナムなどもある)。C日系人労働者、彼らは昔日本から海外へ移住した人たちの子孫で、戸籍の上で日本人との繋がりが(一定の範囲で)認められれば来日して契約労働をすることができる。・・・この四つですね。

 @については、

「日本は依然として女性人身売買横行」 米が人権報告 2005/03/02

米国務省は28日、米国以外の世界各国の人権状況をまとめた04年版年次報告書を発表した。日本では女性の「人身売買」が依然として横行していると批判。昨年に続いて北朝鮮による日本人拉致問題にも言及した。また、対テロ戦で米国と連携を深めている中国やロシアも批判し、中東の親米国家サウジアラビアやエジプトでの人権状況にも懸念を表明した。

 報告書は、日本政府が人身売買問題に関する行動計画に基づいて対策を講じているとする一方で、タイ、フィリピン、東欧をはじめ世界各国から引き続き、売春目的で女性たちが送り込まれていると指摘している。さらに、人身売買状況を調べた日本政府の統計は実態を「過小評価」していると批判した。

 という事件があり、その後、日本政府は興行ビザ発給の基準を厳しくさせられています。しかし、この報告書で指摘されたような状況が完全になくなったわけではないと言われています。つまり、現在でも、セックスワーカーとして売られてくる女性たちを許容している。

Bについては、

外国人研修制度、抜本改革を要請 連合、廃止含め法相に 2006/08/24
日本の技術を学ぶ目的の外国人研修生や技能実習生に対する雇用主側の不正行為や賃金トラブルが相次いでいるのを受けて、連合の古賀伸明事務局長は23日、杉浦法相を訪ね、研修・技能実習制度の廃止を含めた抜本改革に踏み切るよう要請した。法相は「いろいろな意見も聞き、今後検討していきたい」と応じた。

 古賀事務局長は、同制度について「劣悪な労働条件や賃金未払いが発生している。(出身国の)送り出し機関の問題もあり、国内対策だけでは対応し切れない」と指摘。「制度の趣旨と現実の運用が乖離(かいり)している」として、早急な制度見直しを求めた。

 という記事に見られるように、「技術研修」が労働搾取の温床になっている現状があります。正式に単純労働を受け入れていないので、その労働を守るような機構もない。Cについても似た状況があるようです。BやCは、日本人労働者よりも安い賃金で、劣悪な労働環境の中で働かされるわけですから、いろいろな問題があります。

C 台湾と外国人労働者 

 台湾での外国人労働者の政策と現状については、宿題でみんなに調べてきてもらいましたね。今週は、そこまで議論が進みませんでしたが、たぶん来週、議論できると思います。まだ、間に合いますから、調べてきてください。

 問題は、@台湾人労働者と、外国人労働者の差は何か、Aその差は”妥当”な差なのか、B妥当か否かを判断するための基準とは何か・・・ということですね。

 台湾人は国民で、外国人は外国人だから、差があって当然だ・・・もし、そういう言い方をするとすれば、その根拠は何だろうか?アメリカ合衆国の旧移民について考えたように、「この国はわれわれが、われわれの血と汗で作り上げたもので、そこから甘い汁を吸うためにやってくる人々は差別して当然だ」と考えるのだろうか?

 アメリカ合衆国を”作り上げた”底辺の労働者”は、原住民であり、奴隷であり、外国人労働者であったことは、都合よく忘れ去られる。同じように、台湾のインフラを作り上げた底辺労働者は誰だったのか?日本では誰だったのか?これも、よーく考えていきたいと思います。

ツアー写真集コース概要去年のクラス記録(参考)

参考
過去の半生記誰かの物語を書くこと個人史・部落史・地域史を作るということ霧社事件当時の霧社蕃地図霧社事件後の強制移住地圖
トニー神父Labor Migration in Taiwan