日本国憲法は誰が作ったのか?

2006年5月3日

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(越境文化論2006年5月3日記録より)

日本国憲法は誰が作ったのか?

 クラス唯一の”日本人”(あ、阿川を除いてですが)の小華(夕華子)に、日本国憲法は誰が作ったのかと質問したら、アメリカ(GHQ)という答えだったね。この認識はけっこう”日本人”の間に広まっている。「今の日本の憲法はアメリカが作って日本に押し付けたものだから、今、”日本人の手によって”書き直そう」という人たちも少なくないようです。事実はどうなのか?

 事実はどうなのか、と言っても、これは”解釈の問題”というか、憲法の制定過程をどのような物語として語るかによって違ってきますよ。その語りには、当然ですが、語り手の立場があり、イデオロギーがあるわけです。詳しくは頁の最初の方にあげた参考URL(日本国憲法の誕生、もっと詳しいのが日本国憲法成立過程における極東委員会の役割と限界)を見てくださいね。

以下、ちょっとだけ憲法制定の経緯を書いておきますね。

 まず1945年10月、”憲法を改正しなさい”という要求(”自由主義化”の要求、と言われます)が、GHQから出され、これを受けて”日本政府”による明治憲法の調査研究が開始され1946年2月8日に”日本側”の最初の憲法草案が完成します。その前の2月1日に、この草案が毎日新聞にスクープされるのですが、それを見て「これではまだ保守的、現状維持だ」と考えたマッカーサーは、2月3日、GHQ民政局長であったコートニー・ホイットニーCourtney Whitney)にGHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業を指示します。ホイットニー自身は弁護士でもあったけれど憲法についての実務的な知識に欠けたため日本の民間憲法草案などを参考として(とくに12月27日に発表された憲法研究会の憲法草案を入念に検討し「民主主義的で賛成できるものである」と高く評価したと言われます)大急ぎで(ほぼ10日間で・・・無論、それ以前にも準備していただろうとは思いますが)GHQ草案を作成した。2月13日、スクープされていた”日本側草案”が手渡されると、マッカーサーはその場でこの草案を拒否し、ホイットニーらの作成したGHQ草案を検討するように指示します。”日本側”は、このGHQ草案に原則として沿う形で案を練り直して3月2日に再提出し、これが最終案になります。最終案はホイットニーらのGHQ案といくつかの相違点があります(例えば第25条の生存権など)が、ほぼGHQ案に沿ったものになりました。

 マッカーサーが憲法の制定を急いだのは、1945年の12月にイギリス、ソヴィエト、アメリカの外相会議で極東委員会(Far Eastern Commission)の設置が決まり、13か国(米国・英国・中国・ソ連・フランス・インド・オランダ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・フィリピン、1949年11月からビルマ・パキスタンが加わる)の代表から構成されるこの委員会が、1946年2月26日以降、活動を開始した後は、憲法改正に対するGHQの権限が制限されることになっていたからだと言われます。つまり、同じ”戦勝国”だけれど共産主義圏のソヴィエトが口を出してくる前に自分の手で憲法を作り上げてしまおうということですね。

 マッカーサーがホイットニーに指示したのは、後に「マッカーサー三原則」と呼ばれる三つの原則を明確に打ち出した草案を作れということだったようです。三原則とは、

1.「天皇は、国家の元首の地位にある」(The Emperor is at the head of the State)
2.「国家の主権的権利としての戦争を放棄する」(War as a sovereign right of the nation is abolished)
3.「日本の封建制度は、廃止される」(The feudal system of Japan will cease
 
の三つだと解釈されています(2月3日にマッカーサーがホイットニーに宛てたメモ、いわゆる「マッカーサー・ノート」の三つのポイント)。天皇制を維持しようという判断は、”日本”を早期に”安定される”ことが対共産圏戦略として至上命令であり(マッカーサーの独断という感じもしますが)、そのためには天皇の戦争犯罪追及も、天皇制の廃止も、マイナスに働くと考えたのだろうと思います。この判断の背景には、無論、当時の”日本側”の強い要求があった。天皇に手を出すようなことをしたらわれわれは何も保証できないぞ、という雰囲気をマッカーサーも感じ取っていたのでしょう。

 2番目の「戦争放棄」は、結果的に”日本”に独自の戦争能力を持たせず、米軍の基地化する(少なくとも当面は)戦略に見えますが、憲法に「戦争放棄」を謳うことは、1946年1月に行われたマッカーサー・幣原(当時の首相)会談で、幣原から提案されたものだという説もあります。

 3番目の「封建制」廃止には、本来は天皇制が含まれなければ矛盾していますが、皇族は除外されています。これは天皇制の存続と連動していたので矛盾してもしょうがない、ということでしょうかね。これによって、しかし、華族は解体され、華族の権利もほぼ消滅しました。いわゆる「民主化」を進めるための最低限の要求に見えます。

 このように見てくると、確かに日本国憲法最終案はGHQ案に沿ったものなのだけれど、そのGHQ案そのものが”日本側”との折衝の中で生まれているとも見えるし、”日本側”の憲法研究会の案が大筋で取り入れられたものだとも言えます。『憲法は”アメリカ”が作って”日本”に押し付けた』とも言えるし、『アメリカの対共産主義戦略の下で急いで作らなくてはならないというプレッシャーの下ではあったが、”日米共同”で作られた』とも言えるし、『天皇制の継続、戦争放棄、国民主権などのキー概念を”日本側”が出して、GHQがこれにいくつかの粉飾をした』とも言える・・・。

『日本国憲法はアメリカが作った』という発言のパフォーマティブな意味

 『日本国憲法はアメリカが作った』という言い方は、『だから、それは日本のものではない。それゆえ”日本人”の手で作り直す必要がある』という主張に繋がってきます。そのパフォーマティブな意味は、いろいろ考えられると思いますが、第一に”国家主義(ナショナリズム)”的だと思いますね。この「作り直し」の主張(異議申し立て)は、現状では「日本軍の憲法上の認知」と「海外派兵の憲法上の認可」という軍事的な改革を狙っていると解釈されます。だから、これに対して「憲法を守ろう」という側は、何よりも第9条(いわゆる平和条項)を守るという主張になるわけです。

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