家父長制

2005年2月23日家父長制  2006年12月27日家父長制と庇護"ladies first"

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(越境文化論2005年2月23日記録より)

 <家父長制度>という言葉は、みんなが知っていますよね。英語だとpatriarchismかな。patriarch というときの、patrという最初の部分は、<父親>というような意味だ。みんなが知っている単語だと、patriotism (愛国心、愛国主義)なんていうのも関係がある。知らないかもしれないけれど台日地区研究で今問題にしようとしているpatronize (庇護する)という動詞なんかも関係があります。

 愛国心というのは、国というものが父親として存在する、ということですね。男の家長が「国」を象徴する―これは家父長制が「国」の基本原理だ、というような認識に通じていますね。庇護する、というのは、(強い)男が女(子供を)を守るということ。その強い男というのが、家族の長だ。

 さて、家父長制は単に<家族の長が男>だというだけの問題ではないのです。少なくとも次の二つの面から考えてほしい。

@ 家族という単位を「支配の最小単位」とするような、男性主権の社会構造
A 庇護者(権力者)である男性から見た世界(インタレスト・イデオロギー)を<真実で客観的な世界>とする認識


 今の学生諸君でも、大半の人が女性は結婚したい/するものだ/するべきだ、と考え、男性もまた、結婚して家族を養うのだ、と考えているようです。つまり、社会の一員になるというのと、(結婚して)家庭に属するのだ、というのはほとんど同じ意味なのかもしれない。現在は、自分の親の「家庭」というものの一員であり、独立するというのは、もう一つの(つながった)家庭をもつことなんだ、と。基本的に、結婚とか家庭というものに属さない生き方を想像することさえ、今の私たちにはむずかしい。

 現在、行政的には家長は男性である必要はないですね。じゃあ、それは家父長制が壊れている、と考えるのか?私はそうではないと思います。家長である男性の役割を、女性がやってもいい―単にそういうことであって、家長の持つ父親的庇護の義務と態度、そして、男性の目から見たそれぞれの人の社会的役割を演じるように社会が一人ひとりの構成員に要求していること・・・・それらは基本的に家父長制の世界観から抜け出してはいない。

 これはAですね。男はなぜ「自分は家庭を作って、家族を庇護するのだ」と考えるのか・・・それが家父長制という制度の下での世界観の中で、男性に期待される役割だから。女性はなぜ「結婚して家庭を持ちたい」のか?これもまた、同じようにそれが女性に期待される役割だから。誰がそう期待するのか?私たちの文化、ですね。その文化の名前を「家父長制」と呼ぶ人もいる。

(越境文化論2006年12月27日記録より)

家父長制と庇護(patriarchy and patronization) 

 それを説明するために「家父長制」という概念を出しました。英語ではpatriarchyというそうです。これも辞書的に言うと(と言ってもいろいろな意見があるので”正しい定義”という意味ではないですが)こんな風になるようです。
 

父系の家族制度において、家長が絶対的な家長権によって家族員を支配・統率する家族形態。また、このような原理に基づく社会の支配形態。 (http://study.masm.jp/%B2%C8%C9%E3%C4%B9%C0%A9/)

 阿川もいろいろ探して、この言い方が割りと中立的かなと思ったので、これに沿って考えていくことにします。まず「父系の」という箇所ですが、父系というのは家長が男性で、長男がその跡を継いで家長となる制度ですね。その長男は”嫡子”であることが(とりあえず)重要です。嫡子というのは、家長の血の繋がった子供という意味ですね。社会制度上、女性はこの嫡子を産むというのがもっとも重要な役割と言えるかもしれない。

 ここで問題が生じます。子供が、その子を生む女性の子供であることは、本人にもお産を助ける人たちにも明らかに分かります。しかし、その子供の父親が誰であるかは同じように明らかではないわけです。家長が、生まれてくる子供が自分の子供であることを確実に知るためにはどうしたらいいか?妻を”信用する”ことができないという前提です。(女性は”本来的に弱い存在”であり性欲を自分で理性的にコントロールできない、とか、男性よりも強い性欲を持っている、というような女性のセクシュアリティに対すして男性が持っている”恐怖”というものを指摘する人もいます。が、このことを書き出すと長くなるので、そういう話もあるというくらいにしておきますね。)

 方法は、妻が他の男とセックスをしないように「貞操帯」などで物理的に保証すると同時に、妻(女性)に「夫以外の男性とセックスすることは罪悪である」という観念を植え付けて、〈貞操は命よりも大事なものだ〉と思わせるといいかもしれないですね。前者は物理的な拘束、後者は精神的な拘束、というわけです。

 このように女性のセクシュアリティを”規制”して、女性を男性の監視下、保護下に置くこと―それによって〈家父長制〉の根本が成立する。そういう風に考えてみましょうね。

 この〈監視下に置く〉ことは、〈保護/庇護〉という風に表現されます。なぜ保護・庇護しなければならないか。それは直接的には嫡子を保証するためですが、間接的には〈女性は性欲を自分で理性的にコントロールできない、精神的に弱い存在だ〉という家父長制の考え方があるからだと思います。面白いのは、保護・庇護に当たる英語はpatronizeで、家父長制に当たるpatriarchyと、patr-の部分を共有していることです。patr-は家父長=お父さん(father)の意味です。今の”国家”というものが、こうした家父長制の上に作られていることは、例えば愛国心という英語、patriotismもまた、patr-が語幹になっていることからも示唆されます。


"ladies first"

 というわけで、"ladies first"について少し考えることになりました。右の絵は、日本のサイトで"ladies first"(日本語では”レディーファースト”)を解説したもののようです。女性を先に歩かせましょう、ということを言っている。女性が先に歩いていれば、倒れそうになったときに、男性が助けることができる。男性が先だと、後ろは見えないから、助けることができない。男性のほうが足が速いから、というのもあるのかもしれない。そこにある女性像は、やはり、自分で自分を助けることができず、足も遅く、判断力の弱い存在。庇護されるべき存在。・・・そのように見えるけれど、他の解釈はあるだろうか?

 歴史的にどのような理由で始められたか(由来)、ということは今直接的な問題ではありません。こうした行為によって、どのような女性像/男性像(ジェンダー関係)が現在も再生産されているのか、というのが問題です。

 下の二枚の写真はどう見えますか?左は、男性が女性に自分の上着をかけてあげて、いかにも”大事にしています”という様子をあらわしている。右は、男性が女性の背中に手を置いて、彼女を先に歩かせている。”どう見るか”は、あなたの自由です。写真の中の女性が”どう感じているか”は、具体的な人間関係や状況によるでしょう。このような「心温まる光景」に何度も何度も、繰り返し触れるうちに、こうした行為は「男性から女性への”あるべき態度”であるように私たちの頭の中に作り上げられていきますね。

 大事にすること、と、保護/庇護すること、とはどう違うのか? 
 逆に女性が男性を「大事にする」ときには、どのような行為になるだろうか?

 ”彼”のために食事を作ってあげたり、身の回りの世話をしてあげたり、”彼”の邪魔にならないようにしたり・・・その中に、この左右の写真のような行為は含まれるだろうか?

 おそらく「含まれない」のではないかな?で、それはなぜなのか。女性が男性を大事にするというとき、それは保護・庇護にはならないと思いますが、どうでしょうか。

 しかし、男性が女性を大事にすることと、保護・庇護とほぼ同義になる―だとしたら、その理由は女性が”身体的に弱い存在”だから?  

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