台日地区研究公開講演会    セイダッカの正名運動


企画・進行: 多元文化交流研究所<山プロジェクト>チーム  
時間/場所: 2007年10月1日午後6時〜8時半 東海大学 FL館202号室
講演: 仁愛郷巡回牧師、Seediq Balay(セイダッカ正名)運動・代表ワタン・ディロー(Watan Diro)さん
コメンテーター: Sediq Youth(インターネット読書会)代表ヤユツ・ナパイ(Yayuc Napai)さん

⇒資料のダウンロード  問い合わせ: バカン・イルカ (黄雅芬)、あるいは阿川まで)
 

 左、ワタン・ディロー牧師(賽コ克文史傳承協會理事長兼促進會總幹事)。右、ヤユツ・ナパイさん。

 ワタン・ディローさんは、(阿川が知る限りですが)これまで数年にわたってセイダッカの正名運動の代表のような仕事をされてきました。現職は長老教会の仁愛郷巡回牧師で、13箇所の協会を巡回しておられます。
 ヤユツさんは、今年立ち上げられたセイダッカの青年たちの読書会の、まあ、代表といっていいでしょう。青年たちで、セイダッカの歴史と現状について学び合おうというのが発足の意図だと思います。ヤユツさんは現在、日本の京都大学留学中で、そこでは原住民教育について博士論文を執筆中と聞きます。⇒賽コ克(Sediq/Seediq/Seejiq)青年論壇

 当日は、まず、ワタンさんからセイダッカの正名運動について、その根拠、歴史、現状などの話を伺った後、ヤユツさんから若者たちがなぜ今読書会を始め、どのような活動を目指すのかという視点から、ワタンさんたち”大人”たちの正名運動に対しての意見や感想をお聞きしようと思います。

 その後、参加者を交えて討論、意見交換の予定。興味のある方、誰でも歓迎です
 

背景

 知られているように、「台湾原住民」については日本時代に日本人民俗学者などが分類した”9族”という分類を中華民国時代にも踏襲してきましたが、2001年にサオ(邵)が第十番目の原住民族として”認知”されたのを皮切りに、2002年にガマラン(?瑪蘭)、2003年にタロコ(太魯閣)が、2007年1月にサキザヤ(撒奇莱雅)が、それぞれ第十一、十二番目、十三番目の原住民族として”認知”されました。現在は、ですから、13族というのが台湾政府の正式認定ということになりますね。

 こうした運動を「正名運動」と一般的に呼びます。日本時代、国民党全盛時代を通して、外から「お前たちは一つの集団(族)である」と押し付けられた名前、集団としての括り・・・そういうものを、”自分たち”の視点から「正して」いこうというのが「正名運動」でしょうか。

 
タイヤルと分類されてきた集団には、大きく分けるとアタイヤルセイダッカという二つの”異なる”社会があると言われてきました。その二つの中が、また言語や歴史や社会組織などによっていくつかに分かれる可能性があるわけですが、ここではセイダッカについてだけ、少し書きます。

 
セイダッカは、霧社事件の際の抗日集団というイメージがあるかもしれませんが、蜂起に参加したのはセイダッカのすべての部落ではありませんし、またセイダッカだけとも言えない。歴史的な移動の経緯の違いから、セイダッカの内部は三つの(セイダッカ語の三つの変種とも言われますが)集団に分かれるそうです。その三つは、タクタヤ、トーダ、トルクの三つです。大雑把に言うと、タクタヤは霧社を中心とした地域、トーダはその北東、そしてトルクはその東・・花蓮方面に移住した人たちも含まれる、ということになろうかと思います。霧社事件で中心的な働きをしたのはタクタヤの人たちですね。で、相当部分が日本の報復によって殺害され、生き残りは現在の清流に隔離された。で、霧社のタクタヤの部落は、主にトーダの人たちに日本から”与えられた”わけです。

 花蓮のトルクの人たちというのは、上段で述べた「太魯閣」として2003年に正名しています。この辺が分かりにくいと思うのですが、”同じセイダッカの中のトルク”と考えると、なぜセイダッカとして正名しないで、太魯閣として正名してしまったのか/してしまい得たのか。「正名」という概念の定義からすれば、それはトルクの人たちがどのように自分たちを認識するかの問題だからトルクの人たちの自由ではないか、という風にも言える一方でセイダッカとして正名すべきだと認識していたトーダの人たち、タクタヤの人たちにとっては、一種の「裏切り行為」のように見えるとしても、それは理解できないことではないですね。同じトルクの人でも花蓮ではない人は今、太魯閣に属するべきなのか、セイダッカの正名を待つべきなのか、複雑な決断を迫られている人もいるでしょう。(そのような人たちの多くは、太魯閣ではなく、タイヤル属のままにしているとも聞きます。太魯閣に住んでいても同じようにタイヤル属のままにしている人もいます。)

 もし、セイダッカという正名が実現した場合には、トルクとセイダッカは、別々の集団ということになり、そのように台湾政府が認知することになります。が、そういう分け方が、歴史や”民俗学・民族学”などによって支えられるとは(とりあえずは)思いにくいです。それでも政治的な判断として、トルクとセイダッカは別なんだということは可能です。なぜ、そもそも、台湾政府は2003年の時点で太魯閣を独立の”族”として認定したのだろうか?そこにどのような政治的、歴史的、経済的な事情があったのだろうか・・・・そして、そのことはセイダッカの正名運動に、現在、どのような複雑性を投げかけているのだろうか?

2007年9月14日阿川記


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 参考⇒從土地政策談原住民土地為何流失
 

10月1日の資料、ダウンロードできます。すべてMSWORD版。当日配布もありますが部数が少ないので予めダウンロードしてくれると助かります。

@ Sedeq Name Rectification by Scott Simon, Associate Professor, Department of Sociology and Anthropology

A 賽コ克族正名運動促進會成立大會會議記

B 賽コ克族正名運動大會手冊

C 賽コ克族正名的省思   瓦旦吉洛

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