ブッシュ政権のイラク占領=日本占領というアナロジー
阿川意見 2005/09/03

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日本モデルへの言及日本モデルへの言及が拠って立つ歴史物語
アメリカの「傀儡」政府「傀儡」国家主権国家という幻想
再び日本モデル日本のマスメディアの素っ気無さ

  
(写真はホワイトハウスHPより)

2005年8月30日、サンディエゴにてブッシュ・ジュニアが対日戦勝記念日(9月2日だが)の演説を行いました(全文を読む)。それについて、日本経済新聞ウェッブは8月31日付けで、次のような記事を掲載。


米大統領、日本を例に中東民主化推進・対日戦勝記念日演説
   2005年8月31日  日経

【ワシントン=秋田浩之】ブッシュ米大統領は30日昼、カリフォルニア州サンディエゴの米海軍基地で対日戦勝記念の演説をおこない、第2次大戦後に民主国家として発展した日本の成功例を手本に中東民主化を推進する決意を表明した。米国内でイラク政策への批判がくすぶるなか、「日本モデル」を引き合いにイラク復興の歴史的な意義を強調、米国民の支持を取り付けようとする狙いがある。

 演説の中で「(第2次大戦)開戦時には、太平洋地域の民主主義国家はオーストラリアとニュージーランドだけだった」と指摘。「米国は真珠湾攻撃から4年以内に立ち直り、(欧州と太平洋の)2つの前線で戦い、世界戦争に勝利した」と自賛した。

 そのうえで「米国と日本の専門家は当時、日本には民主主義の備えがないと指摘した。だが(米国の戦争世代が)日本で達成したことを見れば、特定の人々が平等と自由に適していないと信じるのは誤りだということが分かる」と主張。平和憲法を持つ日本は米国の「信頼できる同盟」であり、アジア地域の安定にも寄与しているとたたえた。 (10:08)
                                         (文中、赤字の強調は、阿川)

なんとも素っ気ない扱いです。記事のこの素っ気なさについてはちょっと後で考察したいと思います。今は、ブッシュ発言そのものをまず考えたい。イラク攻撃について「日本モデル」が引き合いに出されるのは、これが最初ではないです。


日本モデルへの言及                               本意見先頭へ

 イラク攻撃開始前の2003年1月6日、NYタイムズ紙、THREATS AND RESPONSES: THE WHITE HOUSE; U.S. IS COMPLETING PLAN TO PROMOTE A DEMOCRATIC IRAQと題された記事に「ブッシュ政権国家保安チームは予定されているフセイン追放後のイラクの管理および民主化に関する最終プランをまとめているところだ」と報じ、いわゆる「日本モデル」、つまり、日本をアメリカが目だった障害なく「民主化(自由化)」に成功した例を、イラク占領と重ねて論じたそうです。

 阿川はNY Timesの記事を購入する(過去の記事は金を払わないと入手できない)余裕がないので、ここでは原文全文には当たっていませんが、そういう内容だと言われています。この記事を知ったのは、1月の24日に東京で「知識人たち」が、こうしたブッシュ政権の言い方に抗議する声明を出したときです。(⇒U.S. PLANS FOR WAR AND OCCUPATION IN IRAQ ARE A HISTORICAL MISTAKE

 つまり、イラク攻撃開始前から「日本モデル」というのはブッシュ政権の中では語られていたわけです。それ以来、現在までの2年間、ことある度にアメリカおよび日本外では、この日本モデルが議論に登場してきたと言います。このことについての阿川の記憶は、実は2003年以来飛んでいるのですが、酒井直樹さんによると、

この一年間ほど、日本占領をめぐる論議が国際的なニュース網を賑わせたことはなかっただろう。アメリカ合衆国が主導した連合国による日本の占領が、突然、話題として脚光を浴び、政治可家の演説、新聞の社説、テレビの時事番組の解説などにいたるまで、何度も言及されることになったのである。(改行)もとをただせば、ブッシュ政権の政策発案者たちが日本占領をイラクの侵攻と占領の正当化に使ったからである。おそらく通常なら英語圏で話題となるときには迅速に反応する日本のマスコミも、このトピックに関しては、岸信介・佐藤栄作兄弟がCIAのエイジェントであることが公表されたときのように、そこに潜む政治性を危険視して注意深く迂回したり、直接論じることを差し控えただろうから、海外の情報に直接触れる機会のある海外在住者や英語に堪能な人びと以外は、日本占領という話題が突然人気を博したことに気づくまでに時間がかかったのかもしれない。

 (酒井直樹「共犯性としてのスーパー国家性」、『非対称化する世界』以文社2005所収 p23−24 強調は阿川)

とのこと。そうでしたか、そんなに人気を博していたとは阿川も気づきませんでした。酒井さんの「日本のマスコミ」についての推測は、上記の日経の記事の「素っ気無さ」を説明してくれるのかもしれません。このことについては後段でもう一度考えます。


日本モデルへの言及が拠って立つ歴史物語             本意見先頭へ

 これは酒井さんも指摘している点ですが、2003年1月24日の反対声明も、2005年8月30日のブッシュ演説に対する疑義も、すべて「日本とイラクとでは状況が違うから、ブッシュの言っていることは妄言だ」「歴史的な間違いだ」という趣旨です。たとえば、Bush Equates War In Iraq To WWII:President Ignores How Wars Started(2005/09/02、carolinachannel.com)、Bush comparison of Japan, Iraq off the mark: Experts (2005/09/02、Sify News)など、趣旨は大同小異ですね。いわく「日本の場合には、日本とアメリカの専門家の協力があった」「アメリカは占領に際して、数年間にわたって米国内に日本専門家を育て、入念に計画を練ったが、イラクに関してそのようなことをまったくしていない」「日本の周囲の国は、日本占領に対して支持してくれたが、中東ではそのような周辺国の支持は到底得られない」・・・など。

 しかし、大切なことは、これらの<批判>も、ブッシュの持ち上げる「日本モデル」も、ともに、日本がアメリカの占領によって民主化されたということを言外に(あるいは明確に)認め、それを歴史的な事実として放り出している点です。ブッシュ・ジュニアや、その側近の言説(日本モデル)と、それへの批判に見られる言説は、この点では実は一致しています。しかし「日本では成功したがイラクでは条件が違いすぎる」という言い方の中に含まれる「日本では成功した」というのは、実際のところ、どういう意味なのか。それを(争う余地のない)歴史的な事実とすることは、どういうことを意味するのか。以下、相当<雑>なのは承知ですが、思うことをメモ的に書いてみます。


アメリカの「傀儡」政府「傀儡」国家

 たとえば、アフガニスタンの現政権(ハリケーン・カトリーナ救済援助金として米国に10万ドルを出した―一体どこにそんな金があったのだろうか?)、カルザイ大統領とその内閣によるアフガニスタン政府は、アメリカの言う民主的な選挙によって選出されたわけだけれど、アメリカの傀儡政府だと多くの人によって看做されていますよね。少なくとも阿川の感覚ではそうです。現在のイラク暫定政権もまた同じですね。それは「アメリカ=ブッシュ・ジュニアの言うことをきくYES-政府」というほどの露骨さはないまでも、アメリカの想定する親米=親市場主義であることが条件であり、閉鎖的なイスラム原理主義者などは排除されています。アフガニスタンでも、イラクでも、アメリカの気に入る「政府」ができるまでアメリカは何度も選挙手続きに介入してきました。911以降のアメリカの比較的露骨なやり方は、ある政府が「米傀儡政府」であることを、やはり露骨に表面化させていると思います。

 私にとっては、アフガニスタンやイラクの「政府」はどうしてもアメリカの傀儡政府という印象なのですが、こうした政府を米「傀儡」政府と考えるとしたら、日本や韓国、台湾といった国々もやはり傀儡ではないのだろうかと考えさせられるのです。日本の「護持された国体」、韓国(南)の李承晩の政府、台湾の蒋介石政府―これらは、いずれも当時の米国の求める親米=反共であることを条件に、米国によって「主権を許可された」政府であり、その延長線上に現在もあるからです(この言い方は台湾については、若干の修正が必要ですが・・・)。

 台湾の場合は、その後の歴史の展開(直接的には米中関係の変化)の中で、この「主権を許可する」ということが揺らぎ、現在のところ台湾の主権についてはペンディングになっています。
 その「ペンディング」というのは、実際のところ、アメリカによって「ペンディング」にされているわけです。1945年にアメリカによって許可された主権が、1972年にアメリカによってペンディングにされた。中国によって主権が脅かされている、と台湾の人びとが考えてくれることはアメリカにとっては都合のいい話ですが。・・・台湾では戦後のアメリカの存在が巧妙に隠されていると思います。後で述べるように、日本においてもまたアメリカは巧妙に「隠されて」きました。
 228事件一つを例にとっても、1947年の段階でアメリカが「許可・承認」しない限り、政変にむすびつく可能性のある228事件のような大きな事件にアメリカの介入がなかったことの説明はつきません。蒋政府だけでなくアメリカ政府もまた、228を反共勢力の一掃、あるいは反共/対抗中共のために必要な措置と考えたことは想像に難くありません。アメリカにとっては傀儡政権がちょっとやりすぎた程度の問題だったのではないかと想像しますが、この辺はもっと緻密な検証が必要でしょう。

 韓国の場合は、国連の要求した南北統一選挙をついに行わないまま、アメリカは南で単独選挙を強行し傀儡政権を作り出した。そこに軍隊を駐留させ、徴兵制をしいて、米軍の手足として韓国の人びとを押さえつける韓国軍を作り出しました。傀儡政権がその後30年以上にわたって「軍事政権」であったことは偶然ではなく、そのような韓国軍のトップが必然的に大統領になり、米国に占領されている状態を援護し続けてきたからこそ、米国から「許可され」てきたと言えないだろうか。
 韓国軍は単に米軍が(冷戦時代に)ソ連(および中国)にプレッシャーをかける役目を果たす間、韓国民を反共体勢に維持し、望ましくない「民主化」を弾圧する道具に使われた(たとえば光州事件)だけでなく、ベトナムで戦力不足を補う「傭兵」としてさえ利用されました。イラク戦争にも何千(3,600人という数字は覚えています)という単位で、やはり「傭兵」として利用されてきました(現在は、その数を「国内世論に鑑みて」2/3に縮小しようとしていますが⇒関連記事)。基地を縮小しているとは言え、米軍の駐留は現在まで続いています。一体、「主権国家」に外国の軍隊が常時・無期限に駐留するというのは、どのように可能なのか。

 日本の場合も、大筋は韓国とほぼ同じですね。以前に(今でも)日本国内で、日本のポツダム宣言受諾は「無条件降伏か条件降伏か」という論争がありました―日本軍にとっては無条件だが、日本国にとっては国体護持という条件を連合国側に受け入れさせたという意味で条件降伏なんだ、そういう議論です。日本条件降伏論者は、国体護持=天皇制の保持は、日本が要求し、「連合国」側がしかたなく認めた、と考える。つまり、保持された天皇制=国体は「日本の意思」であり、その意思の上に作られた戦後日本国は主体的な「主権国家」なのだ、というわけです。
 しかし、日本占領にあたって天皇制を保持し、利用しようという考えは日米開戦後、すぐに米国で出てきます(1942年のライシャワー提言などに代表される)。酒井さん(前掲書)は、アメリカは天皇の戦争犯罪を訴追するということを脅しとしてはちらつかせたけれど、実際にそうする気はなく、天皇制を最初から利用して傀儡政府を作る気だったと指摘します。
 「日本国憲法はアメリカによって作られた」と主張するとしたら、その憲法を戴いた国家もまたアメリカによって作られた傀儡国家であることも同時に主張しなければ道理に合いません。
 また、韓国同様に、日本に常時・無期限に駐留する米軍、その米軍の傭兵化しつつある「自衛隊」の存在も、日本国がアメリカの傀儡国家であることを示していると考えない限り、どう理解したらよいか難しいですね。よく日本政府のアメリカ追従政策が批判的に言及されますが、そうした批判が「独立主権国家であるはずの日本が、他の国に追従するのはおかしい」という点に立脚しているとしたら、その立脚点が誤っている可能性があると思います。
 イタリアでの王政廃止のように、日本でも敗戦時に天皇制を廃止することは可能だったはずです。天皇制を保持することは、既存の権力体系を保持することであり、それを保持したままの普通選挙において選出される政府は、戦中までの既存の勢力を追い出すことなどできはしない。共産党などの「危ない」勢力は、目に見える/見えないやり方によって押さえ込まれたのだから。
 このように裕仁(昭和天皇)を担いで既存の権力体系を利用した支配は、アメリカが日本の満州支配の失敗から学んだものだという指摘もあります。アメリカがしたことは、戦前・戦中の特権階層とその特権階層による支配を、普通選挙という(民主主義という)衣をかぶせてカムフラージュし、露骨にアメリカによる支配という面を隠して、主権国家の体裁を作り出したこと・・・つまり傀儡政府の樹立、傀儡国家の樹立だったと評価できると思います。
 

主権国家という幻想                         本意見先頭へ

 さて、実は酒井さんの前掲書に、一番言いたいことをちょっと別の形で言われてしまったのですが、それは私自身が大人になるまでに植え込まれた日本=主権国家という幻想についてです。その幻想は、今、台湾で私のまわりにいる学生たちにとっての台湾主権の確立を求める気持ちの裏側にある幻想でもあります。「世界」というパーティーの正式メンバーになることは、旧植民地宗主国と「対等の」「主権国家」となることなんだ・・・日本は戦後いち早くそれを達成したのだ、という幻想です。

 私の育った東京都府中市は、米空軍司令部があり、柵の向こう側からは毎朝、毎夕、米国国歌がトランペットで吹奏され、米国旗の掲揚、収納が行われていました。府中では(ほかの多くの地域でも)米軍を「進駐軍」と呼んでいた。学校の先生の説明はこうでした・・・日本は日米安全保障条約をアメリカと結んで、日本が軍備を放棄した分、アメリカに守ってもらっているんだよ、と。じゃあ、自衛隊っていうのは軍隊じゃないの?という子供の無邪気な疑問には、自衛のための軍備と、戦争をするための軍備とは違うんだよー子供にはむずかしいかもしれないけどね、と。確かに子供には難しい論理ですね。めちゃめちゃですから・・・。
 大きくなるにつれて、米軍基地は自衛隊基地に変貌し、さらに東京都の公園となり、米軍も自衛隊も立川へ移動し、横田へ移動し、一部は沖縄へ、一部は北海道へと、東京都から姿を消していきました。その基地と、私が再度めぐり合うことになったのが沖縄でです。なぜ沖縄なのか?なぜ昭和天皇は、沖縄をアメリカの施政下におきながら「朝鮮のように分裂国家にならずにすんだ」などとのたまうことができたのか(入江侍従長日記五十四年四月十九日)。その話はここではしませんが、アメリカの軍隊が常時・無期限に存在していることと、「独立主権国家」という概念がしっくりかみ合わないという風に感じてきました。見回してみると、韓国も同じ状態なんです。

 もう一つ、主権国家というのが「どうもあやしいな」と強く感じさせられたのは、ごく最近のことになりますが1997年の、いわゆるアジア金融危機です。

 戦後のアメリカを中心とする旧宗主国の談合=ブレンドウッズ体制の中から誕生してくるIMF、世界銀行といった第三世界支援のためのグローバリゼーション推進組織は、第三世界のほとんどの「国」において、アジアのほとんどの「主権国家」において、「国」の自己決定権を押しつぶして(露骨な「内政」干渉ですね)構造調整を押し付けてきました。そういうことは知識として知ってはいても、1997年のアジア金融危機の際に韓国で起きたことを実際、そこにいて感じることによって、主権って何なのさ、と思ったわけです。IMFの構造調整は失敗だったということになっていますが、成功にせよ失敗にせよ、IMFの横暴は、旧主権国家では考えられないような干渉を韓国に行ったわけです。韓国は「国」としてうまく立ち回ったので、結果的にIMFに潰されずに「早期復興」したわけですが、インドネシアなどはそうはいかない。インドネシアは私が肌で感じたわけではないのですが、アジアのアメリカ傀儡政府の中で、おそらくもっとも失敗した例なんでしょうね。

 また横道に逸れそうになっていますが、私自身は育った場所に米軍がいたこと、自衛隊というなぞの軍隊、その軍隊をめぐる砂川基地闘争などを目の当たりにしてきたこと、韓国軍による光州事件、その韓国軍がベトナム参戦していた事実、韓国でのIMF騒動・・・それらを通して、日本も韓国も「主権をもった独立国家だ」という言い方の本当の意味が分からなくなっていました。というか、一度も分かったことなどないのです。ただ、そういう「言い方」を知っているというだけで。


再び日本モデル                              本意見先頭へ

 日本はアメリカが「民主化」に成功した例です。・・・この言い方は一面でまったく妥当だと思います。アメリカは(従来の意味での「植民地」ではないかもしれないけれど)傀儡政府を擁護・支援して「衛星国」を作り出すことに成功した。日本はアメリカの戦争―大きなところでは朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争など―を支援することによって経済的な「復興」を遂げ、アメリカ軍の基地の費用も提供できる金持ち「国」になった。

 1945年以降の世界編成、アジア編成という大枠の中で、アメリカの軍事力を核として作り上げられてきた「帝国」(それはすでにアメリカ合衆国という幻想の共和国republicとの重なりは思うほど強くないでしょう―IMFやTWOのように)の「支配」体制の一角として東アジアが編成されてきたと考えれば、上記のことは驚くには及びません。(もっとも、こうした見方が唯一とも阿川は思いませんが。)

 問題は、ブッシュ・ジュニアとアメリカの主流の言説、そしてそれへの批判が、ともにこうした歴史に顕現する権力作用を(結果的に)肯定してしまい、その意味で一種の「進歩史観」に絡めとられていることです。


日本のマスメディアの「素っ気無さ」

 冒頭に紹介した日経新聞の記事では「米国民の支持を取り付けようとする狙いがある」という風に、ブッシュ・ジュニアの発言を米国内の政治的発言として解説しています。この一文によって、ブッシュ発言が提起している歴史観そのものを日本のメディアとしてどう受け止めるか、という問題は回避されます―それは米国の内政問題であるかのように投げ出されるわけです。日経新聞以外では産経が全面的に同じ記事を掲載、河北新報がそれ以上に素っ気ない記事を出したくらいで、取り上げたメディアの数が少ない。

 酒井さん(前掲書)の言う「政治性を危険視して注意深く迂回したり、直接論じることを差し控えた」ということなのだろうか。そうだとしたら、その危険視される政治性とは?

この項、とりあえずここまで。 

・・・・・・・

その後の参考記事: 小泉首相は最良の相棒・ブッシュ大統領が再び日本に言及 2006/03/22
              「民主化」はほとんど失敗 米政治学者が事例研究 2006/06/18

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