2010年神戸スタディツアー『越境する移動と定住』に参加した松永による報告ページ
(このページは仮のモノです.写真や感想など,充実させていく予定です 2010年8月26日第1期完成)
→第2期工事に入りました.写真については完了かな.感想・総括は今後も続けなければならない(2010年9月21日〜)

トップページに戻る

このページについて
・2009年に初めて行われた神戸スタディツアー「越境する移動と定住」.2010年7月30日から8月8日までの日程で第二回目が行われました.
・本ページはその記録です
※昨年度は,途中参加ということもありまとめページ作成はしませんでしたが,報告書に小文を書かせていただきました.拙文についてはこちらのpdfをごらんください
※昨年のツアーの報告書が有ります(残部限り有り).ご希望の方は松永までお知らせください.また,pdf版のアップロードも検討中,
・昨年同様,ツアー実施の前に度重なるミーティング・勉強会が行われました.勉強会ではツアーの内容や目的の周知に始まり,ツアー前・中・後の諸々の仕事の分担,参加者各自の関心のあるテーマの表明,グループ作り,関心テーマについての事前調査と参加者への報告,映像資料の閲覧,などを行いました.
・交流相手の方々の人生の経験をいろいろと聞かせてもらうという機会が多いからこそ,事前にきちんと調べられるものは調べる,相手の方に失礼の無いように,という思いが大きくなりすぎて,私松永個人は常に参加者諸氏に対して厳しい態度だったように思います.怖い,うるさい,いやな教員....トホホ

本ページの構成
このページについて 
ツアーの日程 
ツアー参加者と出会った人たち 
ツアー日程と活動の紹介 
今後の予定(報告会・報告書) 
感想・雑記(未整理)
ツアーの日程                                                     このページの先頭へ
会合 2010年5月頃〜 メンバー募集開始 各自の仕事分担の決定 ツアーで取り組みたいテーマの決定
ミーティング・勉強会を7回ほど行う(一回につき2時間から4時間.各自の関心テーマの表明とテーマについての事前学習の成果報告,DVD等の資料の鑑賞)
1日目 2010年7月30日(金曜日) 16: 10 関西空港到着 (Osaka Fri 30 Jul 2010 1610 hr / 4:10 pm KIX-D)
甲南大学平尾記念セミナーハウス着
2日目 2010年7月31日(土曜日) 午前:海外移住と文化の交流センター go
午後:神戸華僑総会で華僑家族と華僑青年部の皆さんとお茶話会 go
夜: 甲南大学中畠ゼミの皆さんによる歓迎会 go
3日目 2010年8月1日(日曜日) 午前:鷹取教会のミサへ参加 go
  :NGOベトナムin KOBE
午後:孫文記念館訪問 go
夜: 津田塾大学辻野先生福田先生のグループとの交流会 go
4日目 2010年8月2日(月曜日) 午前:甲南大学オープンキャンパス参加
午後:神戸中華同文学校訪問 go
5日目 2010年8月3日(火曜日) 午前:神戸南京町界隈見学 go
午後:神戸華僑歴史博物館見学と講演 go
1.林正茂副館長,2.藍璞館長,3.神戸学生青年センター飛田雄一さん
6日目 2010年8月4日(水曜日) 午前:藤井幸之助さんと一緒に生野コリアンタウンを見学 go
午後:KBSまだんにて,高仁鳳さんのお話をうかがう go
7日目 2010年8月5日(木曜日) 各自が調査や交流・訪問を行う
午後:大阪中華学校訪問 go
夕方:ひろたまさき先生による特別講義 go
8日目 2010年8月6日(金曜日) 午前:リバティおおさか・大阪人権博物館 go
午後:ピースおおさか,大阪歴史博物館 go
9日目 2010年8月7日(土曜日) 午前:写真で見る神戸大空襲の見学およびお手伝い go
午後:鷹取地区夏祭りのお手伝いと参加 go
10日目 2010年8月8日(日曜日) 各自調査へ
午前:神戸学生青年センターへ go
午後:神戸ムスリムモスクへ go
最後のミーティング・解散

ツアー参加者と出会った人たち                                             このページの先頭へ

■ツアーメンバー全体写真三態(成長が見られる?疲れが見える?)(写真はツアー参加者撮影のものを拝借しました.感謝)
ツアー最初の訪問地 2010/07/31
(海外移住と文化の交流センター玄関)
ツアー中盤 2010/08/04
(高仁鳳さんのKBSまだん前)
ツアー最後の写真 2010/08/08
(甲南大学平尾記念セミナーハウスロビー)

■東海大學および甲南大学のツアーメンバー(写真はツアー参加者撮影のものを拝借しました.感謝)

燕先生

中畠先生
大西先生 張倚宸 黄鈺婷
廖苡晴 楊潔馨 何思穎 謝佳穎 呉凱琪
鐘家杰 張庭瑞 陳威艇
劉韋妤

孫若梅
林庭薇 林沛瑢 徐珮晴 蔡文婷 盧沛餘
陳智祥 蔡薫婕

松永

留守番させられた犬

■出会った方々(以下はお会いしたなかでもごくごく一部の方々です)(写真はツアー参加者撮影のものを拝借しました.感謝)
松原マリナ代表
東野健一さん
神戸華僑総会副会長 林嘉雄さん 沢口涼祐さん華僑総会の皆さんと
大西さん
ミケランジェロ神父
ガ代表 石部尚人さん 辻野理花先生
津田塾大学の皆さんと
福田弘一先生 愛新覚羅金翼校長藍璞館長林正茂副館 飛田雄一さん

寺尾智史さん
藤井幸之助さん高仁鳳さん
仁鳳さんの奥様
蒋燁教頭
石野早苗さん
米倉澄子さん

タニガワさん
金千秋さん 神田神父

ツアーの日程と活動内容の紹介
第1日目 2010年7月30日(金曜日)                                           このページの先頭へ
16: 10 関西空港到着 (Osaka Fri 30 Jul 2010 1610 hr / 4:10 pm KIX-D)
甲南大学の中畠先生がわざわざ空港まで迎えに来てくださいました.みんなはチャーターされたバスに乗って宿泊地へ.

・甲南大学平尾記念セミナーハウス到着
・スーパーやコンビニで必要なもののセッティング
・食事担当などの確認
これから8月8日まで10日間のツアーが始まります.皆さんがんばりましょう.

※私松永は個人的に,心斎橋のApple Storeに向かい,所有するコンピュータの修理依頼をしました.バッテリーとパームレストについては無償交換となりました.
第2日目 2010年7月31日(土曜日)                                           このページの先頭へ
午前
海外移住と文化の交流センター
・海外移住と文化の交流センター訪問,同センター内にあるNPO団体,関西ブラジル人コミュニティ(CBK)の理事長である松原マリアさんに「日系ブラジル人について,また関西ブラジル人コミュニティについてお話しいただく
・館員による移住ミュージアムの案内
・CBKの子どもたちによるfesta juninaの踊りの練習の見学

CBK:1999年Festa Junina開催.母語教室開始.2001年に関西ブラジル人コミュニティを設立.2007年NPO法人化.月曜日休み.

海外移住と文化の交流センターの全景
坂の街神戸の坂の上にある.
友人の寺尾智史さん曰く,数年前までは廃墟のような建物だったそうだ.1908年に始まった笠戸丸での日本人ブラジル移住から2008年に100年になるのを期に改修したとのこと.
ブラジルへの移住希望者たちは,渡航までの1週間をここで過ごし,45日間の船旅に出た.
この場所は移住者たちにとって「故郷」のようであると,移住経験者がおっしゃっていた.


ブラジル移住発祥の地と記された碑.1979年建立らしい.


建物の壁には,かつて渡航した人たちの残した落書きが残っている.
建物は,かつてもう一つあった建物とあわせて計1200人が収容できるという.その数はちょうど船の乗船人数と同じである.また建物の室内天井などは低くされているが,それも船旅への備えとして設計されたものらしい.


関西ブラジル人コミュニティの活動の目的の一つはブラジルのことを知ってもらうこと.
ブラジルでのワールドカップ開催は良いきっかけとなるだろう.しかし,大規模商業イベントだけに,ビジネス的な団体との関わるその方法も重要になってくるだろうな.




■電話相談も重要な業務の一つ.
金曜日の14時から19時まで.ポルトガル語,スペイン語,日本語.
相談内容:1.在留期間更新について,2.仕事,3.教育,4.ブラジルの手続きについて,5.通訳・翻訳

■土曜日13時から16時半まで,子どもの学習支援も行っている.ブラジル語,日本語,漢字の読み書き,本読み,算数など.
「アイデンティティ形成のための母語教室」という位置づけ
→「書く」という動作と言語習得の関係(アルファベットを「書く」,漢字を「書く」)
また,ブラジル帰国後の(re)integrationのためでもある.
■成人向けの日本語教室やパソコン教室も行っている.
■料理紹介
■日本人向けポルトガル語教室




事務所の一角には各種チラシを配置してある.これは,訪問したNPOの多くに見られる光景.情報発信・交換の場という機能もNPOにとって重要な機能なのだろう.


子どもたちによるfesta Juninaの踊りの練習.
みんなとても踊りが上手.
見に来ていたお母さんたちも踊りをきちんと覚えていらっしゃる.そういう,みんなが知っている大切な行事,なのだろう.
男の子たちの帽子姿もなかなか愛らしい.


CBKでいただいたブラジルのおやつ.とても美味しかった.また水やジュースなどもいただいた.
今回のツアーでも,台灣から大人数で押しかけたにもかかわらず,各所でこのように飲み物や食べ物を振る舞っていただいた.感謝いたします.
神戸でもマニラでも,NPOの方々がこのように親切に活動内容について教えてくださったり歓迎してくださったりするにつけ,どうしても,見学なども含めて「課金・制度化」してしまったある組織を思い出す.そこにはそこの流儀があるし,事業・業務を継続するために必要なことだし,不躾な訪問者も多いことだろうし,私がどうのこうのと言うようなことでは無いとは,一応頭では理解している.けれど.....


このセンターは,さまざまなNPOや活動のために提供されている.この組織もその一つだろう.現在,たくさんの南米の日系人たちが家族を伴って日本に働きにきている.その家族の中には日本語を母語としない者も多い.とくに就学年齢の日系人家族へどのような教育を提供できるか,ということは大きな問題(自治体側にとって)となっている.
もちろん,これは日系人の方々だけの問題ではない.さまざまな外国籍住民にとっても大切な課題だ.また,「在日日本人」の教育だって問題がいろいろとあるだろう.
教育にお金を使えない国家,これは「先進的」とは言えないと思う.

                                                             このページの先頭へ
午後
・神戸華僑総会で華僑家族と華僑青年部の皆さんとお茶話会
たくさんの華僑の方が集まってくださった.数人ずつのグループに分かれていろいろなお話を伺った.
なかにはもう一度お話をしていただくため,学生たちとわざわざ約束をして時間を取ってくださったった方々もいらっしゃった.
本当にありがとうございました.
久しぶりに台湾語で話ができて良かったとおっしゃってくださった方もいらっしゃったとのことです.
私たちの存在が相手方に意味があると感じてもらえること,これは何よりの交流です.


私のグループ(松永・かおる)がお話を伺った林嘉雄さん(右)と沢口涼祐さん(左).沢口さんは料理店の代表取締役.帰化されたらしい.
林さんのご両親は戦前から日本にいらっしゃる.林さんご本人は中学2年の時に日本へ.同文学校で学ぶ.華僑の就職が厳しいなか日本企業でお仕事をされた.震災の際,災害を免れた林さん宅に被災した友人が多くお風呂などの助けを求めて訪れたらしい.そのことで気持ちの変化もあったとのこと.とくに神戸の華僑たちのスマートさ,大陸・台灣の垣根の低さなどを実感.
将来は,大好きな旅行を続けたいとのこと.また,総会として会員に還元できるような事業への取り組み(図書室を作る,パーティ開催,会館の開放など)を行いたいと語ってくださった.



被災地交流として神戸の古民家を台灣に移築したという新聞記事を紹介してくださった.


熱心に話を聞く学生たち
老若男女が集う.
私がまだ大阪在住の時分,神戸の華僑総会で台灣の学生と華僑の皆さんの交流の場に私も同席するというようなことは,考えられなかった.
なんとも不思議な気分になる.
15年を暮らした関西に,台湾在住を経て再びやって来て皆さんと交流をする.新しい出会い.この感じ,なんともいえない.


熱心に会話をする参加者たち.

二世,三世の方の中にはあまり中文ができないという方もいらっしゃるようだ.

一方で,一世の方の中には家族と台湾語を使う機会が無いことを内心残念に思っていらっしゃる方もいるようで,台湾語を話す学生たちが何人かいたことで,「おじいちゃん・おばあちゃん」たちにはけっこう好評だったようだ.


ことばと社会の関係をめぐっては,時にさまざまな政治やイデオロギーなどが付随することがあり,だからこそことばを手放しで賞賛する態度には十分な注意が必要だ.

それでも,「ことばが交流の大きなきっかけになる」,「ことばが大切になる」瞬間,というのは人間のいとなみのなかで確かにあるのだということを実感する.
自分の言っていることを分かってくれる人がいる,自分の知っている音(言語)を口に出す人が目の前にいることの素朴な喜び.
                                                             このページの先頭へ


・甲南大学の中畠先生とゼミ生による歓迎会(多謝)
お寿司,たこ焼き,サラダ,お蕎麦,などなどたくさんいただきました.写真がないのが残念.多謝多謝!

第3日目 2010年8月1日(日曜日)                                           このページの先頭へ
午前
鷹取教会のミサへ参加
・昨年訪問した鷹取コミュニティセンター(TCC)と鷹取教会を再度訪問した.
・いわゆるアポ無し訪問だったのだが,教会の信徒の皆さんも温かく迎えてくださった.

NGOベトナムin KOBE
NGOベトナムin KOBEのガさんとも再開を果たした.突然の訪問で申し訳なかったけれど昨年来の組織の変化などについても少しお話が出来て良かった.
NGOベトナムin KOBEの代表のガさんには昨年もいろいろとお話をしていただいた.今年は昨年からの変化について少しお聞きした.
・組織運営資金
助成金として兵庫県から国際交流の名目で月に10万円(金額の増減がありながらも8年目になる).寄付金.
・スタッフ
スタッフの皆さんは皆ベトナム滞在の経験者たちであり皆ベトナム語もできる方であるとのことだ.またスタッフを有償で雇用すること,にこだわっている.ベトナム関連のNGO/NPOのなかでも唯一NGOベトナムin KOBEのみで可能となっている制度であるという.多い人で週2回働いている.スタッフたちは,母語教育等の研究をしながら,看護師と論文執筆を両立しながらなど各自の目標とともにNGOベトナムin KOBEに参加しているとのことである.
・ベトナム人の抱える問題
研修生で問題を抱える人.昼休みが一番相談の電話が集中する時間.NGOベトナムin KOBEのことは口コミで知るケースが多いということらしい.全国各地から相談がある.
昨年,日本在住のベトナム人の問題としてあげていた「薬物」の問題は,だいぶん落ち着いてきたとのことだった.景気の低迷が影響しているかもしれないとのことであった.
・将来に向けて
無償のサービスから会員制の有償のサービスへの移行,も視野に入れているとのこと.現在の活動以上に,ベトナムの人たちをはじめ組織に関わる人びとに自立・自律的,互助的な活動を提案していくということなのかもしれない.

ミサの後で
・ミサの後は,ミサを執り行っていたミケランジェロ・アラゴン神父や信徒の方々と鷹取コミュニティセンター内でおしゃべりをした.
・神父はスペイン出身.学生たちは素敵な白人の神父さんに興味津々のようだった.とても気さくな方だった.私もスペインのこと,信仰,フィリピンとカトリックの関係などについて少しお話をした.
・次の休み(8月7日)に行われる鷹取地区の夏祭りに設営スタッフとしてまた祭参加者としてお邪魔することとなった(下記8月7日の様子もご参照ください).



NGOベトナムin KOBEのパンフレット(表)
表紙,地図,寄付等の連絡先,活動内容について,分かりやすい図解(ベン図),写真,ベトナム語での説明など.NGO/NPO活動のノウハウとして参考になる.


NGOベトナムin KOBEのパンフレット(裏)


NGOヴィエトニュース.55号になる.隔月刊だったが,このたび季刊にするとのこと.
会員にこのニュースレターを送る際に,情報が手に入りにくい会員たちに少しでも情報を知ってもらうために,行政やNGO/NPOはじめさまざまな団体から入手したベトナム関連のチラシ等を同封しているらしい.このことが,送料の負担となり,季刊に移行せざるを得なくなったとのこと.
                                                        このページの先頭へ

午後
・孫文記念館訪問
ずいぶんと風光明媚,なところでした.


・阪神間のエスニック・メディアについて調査・研究している津田塾大学の教員,学生さんとの神戸学生・青年センターに滞在している交流会に出席
辻野理花さん,福田弘一さんというお二人の先生とその学生さんたちとお会いしました.食材をスーパーで調達し台日の学生さんによる料理を囲んで交流会.
メディアがご専門ということで,出版メディアの技術的な話や編集の裏・表話など,興味深いお話も伺いました.編集技術へのこだわり,最終出力の依頼先とコストの関係等々,勉強になりました.
最後には31アイスクリームを持参した中畠先生が登場し,一気に女性陣の関心をかっさらって(笑)いきました.勉強になりました.


※余談ながら,孫文記念館まで旧友石部尚人君が駆けつけてくれました.が,ほとんどアルコールを注入せずに数時間でお別れ.なんとも寂しい結果に,また飲もう.
第4日目 2010年8月2日(月曜日)                                             このページの先頭へ
午前:
学生諸氏は,主に甲南大学オープンキャンパスに参加.
午後:
教員2名と学生有志(サボテン,じゃーいん,けつけい,イチェン,ねこ,車車,かおる)で神戸中華同文学校を訪問
校長先生の愛新覚羅金翼先生(勤続45年・校長職11年)は,満州族愛新覚羅氏の末裔という方らしい(私は満州族の方にはじめてお会いした.しかも愛新さんとは!).
普段は訪問者も多くご自身も忙しいのでなかなか校長自ら対応することは難しいのだが,今日はたまたま応対してくださった.これも貴重ななにかの「縁」だろう.

・人員の構成
小学部学生440〜460名,中学部学生220名,教員46名(85%が当校OB),台湾出身の教員も所属している.
・神戸中華同文学校は現在一学年のなかで40名がOBの子弟,40名が中国籍者の子弟,10名が日本国籍者の子弟という構成だが,学生の国籍は7割が日本国籍だということだ.
最近は日本人子弟の入学希望者が多いが,中華の学校ということで日本人子弟入学者数は抑えているということである.
・新任教員は雇用前の1年間,無償で北京に語学研修に行く
・小学校三年からは中文による授業を行う
・中学部では日本語の教科書を使って中文で教師が説明する.また板書は日本語 →中学校までしかない神戸中華同文学校には,日本の高校進学のための対策が必要であるため
・OBたちの愛校精神が強く,自分の子どもたちを入学させるために学齢期になると神戸に戻ってくるケースがある
・OBの9割ほどが日本人と結婚している(かつては,「一定要跟中國人結婚」だったが...)


ある教育機関が,学校法人であるかないか,また学校教育法に第一条に定められた学校(一条校)であるかどうか,というのは重要なポイントの一つとなる.


この建物は1989年に建造された.現在内部を改装中.


中は改装中だった.学生の姿は...見えない.夏休み中の補講授業などは基本的におこなっていないということだった.


著名人による書 



著名人による書 


著名人による書 

第5日目 2010年8月3日(火曜日)                                             このページの先頭へ
午前:
南京町界隈,外国人居留地


神戸の南京町.私も久しぶりに訪れた.
この街が,1980年代に観光を全面に押し出した街に生まれ変わったということも,華僑の皆さんとの話したり博物館を訪問したりして,きちんと聞かないと分からない話だ.


午前10時前の南京町はさすがにまだ人通りが少ない.


旧居留地を示す看板.神戸ということもあってか,看板の意匠も洋風だ.


人と人が交わること.国際交流.
人と人が出会ったとき,そこに暴力が発生する可能性だってある.これも私たち「人類」がこれまでずっと経験してきたことだろう.
詳しくは ウィキペディア 備前藩側の視点ならこちら



この場所のことは,華僑総会での交流のときに沢口さんに教えていただいた.
                                                             このページの先頭へ
午後:
・神戸華僑歴史博物館訪問
・同博物館12F会議室で講演
 1.華僑博物館林正茂副館長「わたしの人生と神戸華僑」
昨年博物館でお会いしてご本人の経験も含めていろいろなお話を伺いました.今回は,講演をお願いしました.華僑としてのご自身の経験について本当に詳細にわたってお話しいただきました.また,事前に私たちがお送りした質問項目にも丁寧に答えてくださいました.心より感謝いたします.
・差別について:林さんのお母様のころは「ちゃんころ」「支那人」などの



林さんに見せていただいた貴重な写真
華僑の家族の歴史がそこにはある.
林さんの祖先は父親の遺骨を抱えて台湾に渡ってきた.つまり台灣に定住する覚悟であったということだ.ある時,自分のルーツというものに関心を持った林さんは家系図を調べまた台灣の戸籍等を調べたそうだ.


パスポートは,国家と個人の関係を示す一つの書類である.中国大陸・台湾島そして日本.国家間の関係の歴史のなかにはいくつもの個人と家族の歴史がある.
私たちはそこのところを忘れないようにしたい.


昨年,林さんに初めてお会いしてお話を伺ったとき,クレジットカード大の大きさで,プラスチック製のケースに入れられている外国人登録証明書を見せていただいた.そのケースの右下のあたりには親指の爪くらいの大きさのシールが貼られている.それは外国人登録証明書にプリントされていた「指紋」を隠すためのシールだったのである.
また,証明書と共に携行されている全7項目からなる注意事項は,1〜6項まで「〜なければなりません」という文章で占められており,第7項では記載6項目に違反した場合の罰則の可能性が示されている.第2項には「この証明書は常に携帯し,官憲の要求がある場合は提示しなければなりません.」との表示もある.

 2.華僑博物館館長藍璞さん「同文学校の話」
・1934年生まれ.1870年,曾祖父のときに日本へ.
・同文学校について
 かつての同文学校の生徒は「中国に帰れ」などのことばや石を投げるなどの行為を受けたという
 「政治は学校では教えない」「国旗を掲揚しない」「中華民国→中華民国として対応する」
・かつては日本国籍取得=裏切り者という考え方もあった(戦中まで)今ではない
 藍館長の娘さん二人は華人(日本国籍)である→就職上の便宜,海外出張でのビザ発行の問題等を考えた場合日本のパスポートの方が良いという考え方
・世代と言語継承
 地域語や「方言」が世代の新陳代謝によって少なくなる
 上の世代は出身地言語も用いるが,下の世代は日本語へ移っていく...
 「言語継承は周辺環境も影響する」
 結婚や出産で命名の日本化も起きている→一方で子に親の名前の一部を与えることなども行われている

3.神戸学生青年センター飛田雄一さん「アジア、太平洋戦争時の神戸港-朝鮮人、中国人、連合軍捕虜-」
・飛田雄一さんのブログ『ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ』のページはこちら
・飛田さんは「神戸・南京をむすぶ会」の事務局長もしておられる.神戸・南京をむすぶ会のページはこちら

・朝鮮人・中国人・連合国捕虜の強制連行について:神戸における実態
(参考書籍:神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会編(2004)『アジア・太平洋戦争と神戸港 朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜』みずのわ出版)
 1939年,「朝鮮人労務者内地移住に関する件」により朝鮮人強制連行開始
 1942年,東条英機内閣による「華人労務者内地移入に関する件」により中国人の強制連行開始
 東南アジアで捕虜になったアメリカ・イギリス・オーストラリア・オランダ・中国の兵士約3万6千人のうち約600人が神戸へ
 空襲によって港湾に駅ができなくなると石川県七尾に再連行され石灰を運ぶ労働(目に非常に悪い仕事)に従事させられる
 強制連行経験者は文化大革命時「かつて日本にいた」という理由だけで迫害を受ける
 オーストラリア人捕虜ジョン・レインさんによる著書Summer Will Come Againには当時の様子が記されている→飛田さんらの手によって日本語訳が出版される
 


みずのわ出版より2004年発行された書籍


同目次
連合国軍捕虜については,浦沢直樹画による漫画「マスター・キートン」を読みほんの少しだけ知っていた.この漫画の中では,数十年ぶりに捕虜収容所のあった街を訪れた元捕虜が主人公と共に,収容所の痕跡が消えてしまった街から当時のことを覚えている人びとと出会い当時の様子や記憶を「発掘」していくというもの.彼のなかには「恨み・怒り」の記憶と感情が時間を超えて残っているものの,結末では「満開の桜」を見て「本当に見たかったのはこれだ」,となり,なんとなく浄化されてしまうような物語だったように思う.

戦争における加害・被害の記憶は戦争の勝ち負けと別のところでいろいろな人たちの心中や記録の中に残っている.
「勝てばよい」「勝てば被害についても加害の正当性についても主張が通る」とか「負けたら何もかも謝罪しなければならない」とか,そういうことではなく,やっぱり戦争ははじめてはだめだ,と言うべきなんだろうと思う.
                                            このページの先頭へ
4.メリケンパークからモザイク方面へ


今回のツアーの専属カメラマンの「ねこ」.
メリケンパークにある神戸港震災メモリアルパークにて.


震災の影響で崩れた港の様子


電灯も当時のまま傾いた状態で保存されている.


午後の講演には昨年鷹取コミュニティセンター訪問時にお世話になった寺尾智史さんも参加.
夜は,寺尾さんとともにお寿司をハシゴ!ごちそうさまでした.
抜き刷りも数点いただきました.研究頑張ってはるみたい.私もがんばらねば(口ばかり).
また彼はポルトガルのミランダ語圏にて俳優としてもデビュー!


寺尾さん主演の映像作品のチラシ まだ観ていない.ぜひとも観たいなあ



余談:ミッフィーはやっぱりかわいいね.(神戸大丸1Fにて)
第6日目 2010年8月4日(水曜日)                                      このページの先頭へ
松永個人として,このツアーの期間の中でも最も気合いの入った日.
本当に久しぶりに(4年以上),畏友藤井幸之助さんと再会しました.
幸之助さんとの出会いは私の大学院時代.研究会(多言語化現象研究会:国立民族学博物館の庄司博史先生が長年続けていらっしゃる研究会)でお会いして以来,なにかとそしてずっとお世話になっている.そして,今回も本当にお世話になりました.多謝.
幸之助さんが世話人をつとめるコリアン・マイノリティ研究会のページはこちら

午前:
藤井幸之助さんに生野区界隈を案内していただく
10時にJR鶴橋駅にて幸之助さんと再会.
・鶴橋駅周辺の様子について簡単にレクチャーを受ける.駅を挟んで最西側には魚市場,その東側に韓国物産の店,食材店,そして駅を挟んで東側には焼き肉屋街.幸之助さん曰く,早朝の西から日没後の東にむけて,この街の朝から夜までの一日の動きが見られるのがこの駅周辺だということ.なるほど.
・太平洋戦争中,大阪は大規模な空襲を経験している.鶴橋周辺も同様.空襲の犠牲になった人たちの中には在日コリアンの方々はじめ外国人もいるのだ.
・この日のルート:鶴橋駅前から大阪鶴橋卸売市場を経て鶴橋本通商店街へ鶴橋本通郵便局から疎開道路を渡って御幸通商店街を少し歩いたあと韓国料理店で昼食.韓国仏教の観音寺を経て平野川に架かる猪飼野野新橋をわたり川沿いを南下.再び御幸通商店街に入り大阪朝鮮第四初等学校から疎開道路方面へ向かう.そして,高仁鳳さんの待っているKBSまだんへ.




幸之助さん(写真上:一番左,写真下:右端)
お久しぶりにお会いしたがお元気そうで何よりです.幸之助さんはいつも登場時の服装が楽しみ.


第2回目になる今回のツアーに際して,幸之助さんに在日コリアンの方々との交流について相談させていただきました.以来,高仁鳳さんをご紹介してくださったり,飛田雄一さんをご紹介してくださったり,在日コリアンの方にまつわるたくさんの情報を伝えてくださったりと,大切なお時間を私たちのために割いてくださいました.




生野および仁鳳さんの訪問当日には,上記写真のようなたくさんの資料をクリアファイルに挟んだ資料セットを私たちのメンバー全員分(!)用意してくださいました.
どんなに感謝しても足りないほどお世話になってしまいました.


JR環状線の高架下.かつてはここに屋台がたくさんあったらしいが,立ち退きさせられてしまったいう.


幸之助さんお薦めの焼き肉屋さん「空」.少人数で行っても注文しやすい量を提供してくれるという.ぜひ食べに行ってみたい.


この日は水曜日で商店街はお休みの店が多かった.残念だと思う一方で,休みの商店街というのも貴重な資料だろうとも思う.むしろ人通りが少ないことで見学しやすかったかもしれない.


商店街の案内図


商店街の案内図


路地の感じ,いい雰囲気.


チョゴリや寝具を売っているお店.有名なお店もあるらしいが当日はお休みだった.




鶴橋卸売り市場界隈は結構開いているお店が多かった.


お宮.いつごろ,誰が建てたのだろうか.このお宮にもそこにまつわる何か「ストーリー」があるのだろうか.


幸之助さん「商店街の上の方もぜひ見てみてください.古い町の様子が見えます」


鶴橋本通り商店街のチョゴリ専門の直し・クリーニングの店




在日コリアンの高齢者の方々の介護,というのも「日本人」と同様にいろいろと課題があることだろう.高齢化は皆避けては通れない.それが「やっかいな問題」になってしまう社会は良い社会といえるだろうか.自身も関わる問題として.


各商店街ごとに看板や証明灯に工夫が見られる.ここは生野コリアタウン,御幸通商店街の入り口


野球の関西独立リーグ所属のコリアヘチ・チーム応援団員募集の張り紙.こういうの,いいですね.ただ,コリアヘチというチームはいろいろと大変みたい.がんばって!(HPはこちら


このあたりはかつて猪飼野野と呼ばれていた.地元の方の「「豚(猪)を飼う野」はいかがなものか」という意見で地名が変更されたらしい.当時の地名表示が残る貴重な塀


これは立派な門.


食事は食べ放題形式で.
ちょっとしょっぱかったな.肉体的な労働に従事するこの界隈の人びとの食事は味付けが濃い,のかもしれない.



左から幸之助さん,燕先生,
右の青年はチショウ.


この街にこのような張り紙があることの意味を少し考えてみたい.だれが貼ることに決めたのか.誰に対してことばを発しているのか.これを見た人たちはどのようなことを感じるのか.



韓国仏教のお寺.



鶴橋本通り商店街にあった日本のお寺.成田山系のお寺.参尊寺別院誠佛寺の寺号の上にはハングルが見える.
また,玄関には「NPO法人 国際友好促進会」の名前も見える.時間があればゆっくりとお話を伺ってみたい.


平野川.かつては自然の川として蛇行していたものをこのようにまっすぐな川に護岸工事を施したという.この工事には賃金が他より高かったということで多くの朝鮮出身者の方々の労働力が集まったという.また,1923年済州島・大阪港間の「君が代丸」就航により,更に多くの移住者が大阪にそして生野に集まり,生野がコリアンタウンとして形成されることとなった(KOREAN TOWN HISTORYのページ参照).

疎開道路:
大阪の空襲による延焼防止のために1944年に作られた空き地で現在はバス通りとなっている.ここに住む人々は強制的に疎開(移動)させられた(大阪市内で戦争と平和を考える:子ども版のページを参照).


平野川の橋に見られる古墳の意匠.橋の名前,猪飼野野新橋が残る.


御幸通商店街のもう一つの入り口.立派な門.


御幸通商店街の案内図.


大阪朝鮮第四初級学校と正門.




正門には日本語で上記のように記されている.
日本語であるという点に注意....
おそらく昨今の反在日組織の苛烈な活動に対する警戒という意味があるのだろう.


神社にある遙拝所.遙拝するのは「天皇」の居る方向なのです.


幸之助さん,お世話になりました.今度はぜひ台湾でともに活動できればと思っています.



コリアンボランティア協会
HPはこちら
現在のHPはリニューアル中らしい.


今日のルートをおさらい


多言語表示について
・多言語で表記することで,その言語を解する者同士が「お近づきになる」という視点ではなく,その言語を解する者に「(主流社会からの)注意を促す」というものがほとんどだ...

ごみに関する表記

貼紙禁止,という貼り紙もおもしろい(失礼)

こちらもごみについて

道路交通について

これまたごみについて

鶴橋駅構内

お店もハングルと日本語が

ごみについて,他言語表記が多いのはなぜだろう

トイレ
                                                             このページの先頭へ
午後:
高仁鳳さんのお話
今回のツアーではたくさんの方にお会いしました.なかでも藤井幸之助さんに今回ご紹介いただいた高仁鳳さんには,お話はもちろんのこと,お会いする場所の設定までお世話になりました.大勢で押しかけてしまいましたが,快く迎えてくださり,ご自身の経験や多言語印刷・多言語出版事業に関するお話,母校である白頭学院建国学校の「幻のフィルム」の発見とその映像ドキュメント作品化についてもお話ししていただきました.仁鳳さんには幸之助さんとともにぜひ台湾にも来ていただければと思っています.ふつつか者ではありますが,これからもよろしくお願いいたします.

鳳@bongのpage・봉bong의page(高仁鳳さんのHP)
在日コリアンの方の半生をつづったものとしても,また在日コリアン,朝鮮半島と日本の関係史,多文化に関する会合等のさまざまな情報源としてもたいへん貴重なページ.すごい情報量です.私たちの訪問の様子も載せてくださいました.
・ご自身が会長を務めるKBSケービーエス株式会社のHP 
KBSまだんのページ(韓国語教室や韓国旅行などが主催されています)



高仁鳳さん

※人の人生をこのようにまとめてしまうことを申し訳なく思いつつも,せっかく直接お話を伺ったのだから,ぜひとも貴重なお話を書き留めておきたいと思いましたので,ここに記します(集英社新書『在日一世の記憶』に掲載されている仁鳳さんのお話も一部参照させていただきました.).

・1941年大阪のお生まれ
・戦時中は豊岡に疎開.
・1947年,小学1年のとき,父は日本に残り,母,兄とともに韓国(全羅北道)へ渡る.新しく設立された市場の一角を母が買い乾物屋をはじめる.
・1950年,朝鮮戦争 
母が原因不明の病で病死
兄を頼ってソウルへ向かい,散髪屋で住み込みをする.
・1957年,あるおばさんの手引きにより日本へ「密航」日本に到着するまで5月1日〜7月までかかる.釜山→対馬(灰小屋に潜みつつ)→下関→大阪行きの朝一番の列車に乗る
(このおばさん,実は父親が差し向けたブローカーであった.仲介料は10万円であったという)
この間の様子をつづった日記がったが無くしてしまったとのこと.
・父は在日の韓国人社会とのつきあいがなかったという.
・非朝鮮民主主義人民共和国系の学校である建国学校に編入.



(左欄からの続き)
建国学校
建国学校の良いところは,政治的イデオロギーを教えない点.政治の判断は各人に任せた,自主教育を実施.
二世以降の教育への関心の低下故か財政的に苦しくなり,現在は大韓民国側の補助を受けている

就職
合成樹脂会社(在日経営が多いらしい)の業界紙の新聞会社に就職.
「通名(日本名)など使う必要がない」と社長の助言を受ける
一年後,大学二部へ通いはじめる
民団事務部に転勤
1967年奥さん(在日の方で学校は日本の学校へ通われていたそうだ)と結婚
印刷会社僑文社へ入社(1967)
僑文社を買い取る.
KBS株式会社
ワープロ等,電算写植による多言語印刷など当時の最先端の技術で数々の作品を世に送り出す

1989年にはKBS(KきょうBぶんSしゃの各文字から)と改名



会社の多言語性をイメージさせるポスター


『幻のフィルムでつづる建国の60年』のDVD


来年はぜひとも建国学校を訪問させていただければ,と思っている.


『幻のフィルムでつづる建国の60年』内に挿入されている曲の歌詞.この歌をはじめ制作の多くに建国学校関係者が関わっている.
                                                             このページの先頭へ
・海南島で起こった出来事について
幸之助さんにいただいたDVD.
1943年より,日本支配下の朝鮮で朝鮮総督府は「朝鮮報国隊」と称して朝鮮の刑務所の獄中者を海南島へ強制連行したそうです.
同様に,台湾からも海南島へ送られた人びとが居るということです.この「台湾報国隊」についても調べていきたいと思います.
 
海南島近現代史研究会のページはこちら



私はものを知らない.歴史を知らない.本当に,本当に知らないことだらけです.
このツアーを通して多くの方々と出会ったりあるいは再会したりするなかで,想像すらしたことがなかったさまざまなことを知ることができました.感謝します.
この知識・情報のバトンを次につなげること,そして知識・情報を受け取った者が考え行動すること,ですね.
第7日目 2010年8月5日(木曜日)                                      このページの先頭へ
午後:
学校法人大阪中華学校
学校法人大阪中華学校を訪問した.教頭兼教学主任の蒋燁先生が案内してくださった.蒋先生はなんと東海大學の出身らしい.この学校には東海大學出身者が3名もいるとか.
・64周年を迎える.
・台湾出身者の他,華僑,韓国人,日本人,大陸出身者などが学んでいる.幼稚園から中学まで出会わせて学生総数は250名.教員は専任13名,兼任12名.
 2010年6月の時点で,日本人19.2%, 外国人4.8%, 中国人 50.8%, 台湾人25.2%という割合であるという.
・教育内容:小学校1〜3年は台湾と同じカリキュラム..音楽は日台双方教える.授業では日台両言語を用いることが多い.授業では詩などの伝統についても教える.中学では日本語を教える.土・日に特別授業有り.パソコンルーム・調理室等を備える.
・月謝は約2万円.日本の私立校が5万円ほどすることからすると安いといえる(この金額帯設定は,神戸中華同文学校も同様.中華系の人たちの教育にかける熱意とも言える).
・入学の競争率はちょうど1倍程度.横浜,東京で2倍くらい.
・教員:教育有資格者が望ましいがなかなか難しいのが現状.教員は全員日本語を用いることができる(教学以外の業務で必須となるため).
・教頭先生について:お子さんもこの学校に通ってらっしゃる.

将来子どもの親となったら....私の子どもの頃のような「日本人だけ」が当たり前のように「見える」学校ではなくて,
いろいろな出自・背景を持つ子どもたちが元気に学んでいるこういう学校に通わせてあげたいな,という風に思いました.



正門
校舎屋上にはためく旗のデザインは...


土地の広さでいえば,決して広い学校とはいえない.教頭兼教学主任の蒋先生曰く,「関西の大きな都市にこのような学校がきちんと存在すること自体が大事だ」とのこと.


教科書
難しそう.


生徒さんたちの作文


生徒さんたちの作文


生徒さんたちの作文


教育標語っていうものですね.堂々と正しい中国人として行動しよう,って感じでしょうか.


孫文さんの肖像がある


校庭には彫像も.


こちらは蒋介石さん






時間割表
さすがに今の生徒向けだけあって小学生にも英語の授業がある.


台湾では漢字の読みには注音字母が使われている.ここ大阪中華学校はいわゆる「台湾系」の学校であるが,この写真を見るとピンインも記されているのが分かる.
蒋先生にうかがったところ,大陸出身の学生に配慮してのことだ,という.
これも一種の多言語表記だ.良いことなのではないだろうか.



調理教室にて.



講堂兼体育館で卓球をする生徒たち.
ばりばりの大阪弁を喋る子どもたちが多かった.
先生たちは徹底して中文を使うようにしているようだった.




大阪吹田の万博記念公園での写生かな?
みんなの太陽の塔の絵がとてもかわいい.


大阪中華学校の略史が刻まれた石碑

                                                             このページの先頭へ
夕方:
大阪大学名誉教授のひろたまさき先生による特別講義「日本における差別の歴史・・・近代を中心に」(平尾記念セミナーハウス内講義室にて)
ひろたまさき(廣田昌希)先生とは,現在台湾の国立交通大學に客員として滞在されている酒井直樹先生のご紹介で,台湾で知り合ったという(燕先生談).神戸スタディツアーの話をしたところ,興味を持ってくださったそうで,この日と翌日の二日にわたって私たちのためにお話や施設・展示のご紹介をしてくださることになった.本当にありがとうございました.
この日は,食糧不足の私たちのために野菜も持参してくださいました.

・神事,警察など「清める者」「汚れを払う者」がやがて「穢れる者」となり蔑まれるようになり,やがて「穢多」となったという説
・法に反した者やハンセン病者などが「非人小屋」へ→公認の非人⇔非公認の野非人(ぬひにん)
・差別があるということ→差別を無くす→人は皆平等である→では「人」ってなに?→「基準」を設ける必要→基準に適う者と基準から外れる者へ二分→差別される
※基準の最たるもの=「国民」 「日本国民は天皇の下,日本民族としてまとまる者たちのことである」という言説



ひろたまさき先生


当日配っていただいた資料


燕先生は部分的に通訳したり板書したりと大忙しだった.


学生・教員ともに真剣な表情だ

第8日目 2010年8月6日(金曜日)                                      このページの先頭へ
この日は,ひろたまさき先生のご紹介もあって3つの博物館を訪問した.また,大西仁先生も前日に日本入りしこの日のツアーに駆けつけてくれた.

今日も暑い!さあ出発だ.(車車without帽子)

1.大阪人権博物館(リバティおおさか)
大阪人権博物館・リバティおおさかがあるのは,JR環状線芦原橋の近く.このあたりはかつて渡辺村とよばれていた(渡辺村の歴史についてはこちらを).

博物館の展示は4つのコーナー(コーナー1人権の現在,コーナー2私の価値観と差別,コーナー3差別を受けている人の主張と活動,コーナー4私にとっての差別と人権)に別れている.コーナー2と3にはそれぞれ
コーナー2私の価値観と差別
・学歴がほしい・いい仕事につきたい・豊かな国がいい・家柄がたいせつ・国籍がたいせつ
・性別による役割はあたりまえ・健全でありたい・清潔にしていたい・文明がいい,
コーナー3 差別を受けている人の主張と活動
・在日コリアン(植民地支配と差別との闘い・指紋押捺拒否)・ウチナーンチュ(大阪に生きるウチナーンチュ・琉球弧からの移動と移住)
・アイヌ民族(民族の復権と差別撤廃・観光・博物館と民族文化)・女性(フェミニズムの主張・性暴力との闘い)
・性的少数者(多様な性・性を表現する)・障害者(社会に生きる・共に生き、共に育つ教育)
・HIV感染者・AIDS患者(HIV・AIDSと共に生きる・人間らしく生きたい)・ハンセン病回復者(隔離政策と偏見との闘い・表現活動による差別の告発)
・ホームレス(野宿生活を生きぬく・「釜ヶ崎」差別と闘う)・被差別部落(部落解放と地域社会の変革・皮革をめぐる技と表現活動)
・公害被害者(西淀川公害との闘い・西淀川公害被害地域の再生)・水俣病患者(水俣病を告発した活動と写真・関西のなかの水俣病患者)
という展示が設けられている.
コーナー3では各展示ごとにA4サイズ一枚裏表に収められた解説シートが準備されている.展示内容について多くの人に伝えたいという気持ちが見える展示であった.
これは展示内容の関係者自身の声が展示そのものの在り方に反映されているからではないだろうか.

ひろた先生との会話より
昼食は持参したおにぎりを人権博物館の待合室にて取った.そのときのひろた先生との会話.
差別反対や人権運動には,社会的に盛り上がる時期と盛り上がりが減じる時期がある.ちょうど波線のように.

・運動の社会での盛り上がり(丸1から丸2へ)を受け,権利を主張し・態度変更の要求が行われる.
・行政との交渉なども有利になる.行政の活動も活発化する(箱物行政も含む).→運動の分裂(A行政と共に歩む,B行政の影響下に入ることを避ける)
 →自律性を取るのか,癒着してしまうのか
・運動が下火になるとき(丸3)に,行政との距離が批判の対象ともなる.社会的に「摘発」「告発」されることもある

※(松永のコメント)差別撤廃,人権運動は,ときに「癒着」や「セクト主義」の問題をはらんでしまう.
 そのような「抗争」「覇権争い」「利権争い」に拘泥するうちに,本当の苦しみは「世間」や「市民」から軽視され,場合によっては無視され,攻撃すらされることになる.
 さまざまな運動で,いたるところで同様のことが起こっている.



ひろた先生(右)


このあたりは皮革業が盛ん,かつての皮革業=被差別という歴史が見える.


皮革加工は神事と関係の深い太鼓作成などと関わりを持つ.神事に関わる=清め→「穢れ」の存在へという「構図」.


町並みは無機的な集合住宅団地.その合間合間にこのような像が散見される.見られることを意識した街づくりである.が,住む人のことをどこまで考えているのかどうかは,やや疑問だ.




大阪人権博物館の全景.
来客が多かった.


最近の研究の関心から,このような展示には自然と目が向いてしまう.
 



差別意識の根底・歴史を探るコーナー2の展示には,上掲のような双六が目立った.双六は子ども(そして大人も?)の娯楽である.このような「遊び」を通して,「ある一定の価値観」を学習・習得・身体化・血肉化・自然視していくのだろう.


これも双六だ.




これも双六,題して「子だから(宝)双六」.結婚する・子を産むということがテーマとなっているようだ.




女性の社会的立場・役割を「説教」する双六.




外国人の人権について,「ホスト」社会の主流である日本人がどのように考えているか,を尋ねた調査結果.ホスト側の視点は大切だ.


コーナー3のはじまり.在日コリアンの展示から始まる.


大阪府下の公立小中学校での民族学級などの取り組みについてのデータ.


阪神地区のウチナーンチュの同郷人団体および集住地域.


大阪を中心に見た「東アジア」の陸・海路
神戸スタディツアーのテーマ「移動と定住」とリンクする.
来年はこのような「動的な」視点をもっと意識して取り組みたい.広い意味でそしてさまざまな角度から「地図」を看る・見る・読み取る試み.もちろん大切なのは「地図」という平面や3D画面に「人びとの声」をきちんと織り込んでいくということだ.


ハンセン病施設.
かつて,私の母は岡山県の施設で働いていたという.看護婦として働いていた者の視点.患者さんの視点とはまた違うはず.
そういえば,施設の在り方,政治性,施設内の患者さんの発言などについて,彼女なりの意見があるようだった.
詳しい話を聞こう聞こうと思いつつ,いまだに叶わないでいる.親子ゆえいつでも聞けるやという怠慢.




障害者に関する展示.
地下鉄にエレベータが設置されたのは,そんなに古い話ではない.
私のふるさとの最寄り駅であるJR山陽線金光駅のエレベータだってせいぜい数年前に設置されたに過ぎない....


これらの展示を見ると,少数派に属するさまざまな立場の人たちをテーマに多くの舞台作品が作られてきたことが分かる.
私が担当している「戯劇表演」で学生たちが毎年作ってくれる戯曲のなかなら,自分の考えていることにしっかり向き合った作品や自分以外の人たちの立場に対して想像力を駆使する作品が生まれてくれるといいな,と思います.







性をめぐる問い.
私は身体的・肉体的にに性的特徴を持つ?
私の精神・心はどのような性的特徴を持つ?
私が好むのはどんな性的特徴を持った人?
男・女の二分法はどこまで可能か?
ここに年齢やら外見やら,さまざまな差を示すための「スケール」「特徴」が加わっていくと....

まさに,普通って何でしょうね?








ホームレスのおじさんが住む,淀川の河川敷の集まりに2度ほどお邪魔したことがある.元気にしてらっしゃるだろうか.




被差別部落についての展示.


博物館内のトイレ.男・女に分かれている.
ここら辺にこの博物館の限界があるのかも.


公的な場所を預かる者として掲示しないという選択肢は選び得ないだろう.
しかし,掲示すればそれでよい,というものでもないだろう.
掲示することがどのくらいの効果を生むのか,という問いもあるだろう.

人間は皆平等だ,同じだと思うこと.自分と他の人が違うと感じること.自分がかけがえのない,取り替えのきかない存在であると知ること.取り替えできないほど「だめだ」ときめつけられること.個々の人間の存在をwhoでとらえるか,whatでとらえるか.問いは尽きない.
                                                             このページの先頭へ
2.ピースおおさか
続いて午後には,ピースおおさかへ向かった.


大阪空襲の犠牲者の名簿.
藤井幸之助さんの言っていたことばが気になり名簿を見ると,やはり在日コリアンと思われる名前や「外国的な名前」の方の名前も見られる.
しかし,この名簿,もう少し見やすい形にできないものか.この例をはじめ,この博物館ではところどころで,観覧者目線ではなくて「お役所仕事」的な視点を感じる.


戦争時,さまざまな動員体制があったことを,改めて実感する.
社会のさまざまな団体がときには自ら進んで戦争へ動員されていく様については,上野千鶴子の『ナショナリズムとジェンダー』を参照してみてください.


地域も戦時体制に組み込まれている.


空襲の際の対処を教える漫画.


焼夷弾の消化方法.
これでいけるのだろうか?


応急処置の方法.
漫画の絵柄の柔和さと記載内容の深刻さのギャップ.


日本の領土拡張についても言及されている.
これは南京大虐殺についての記述.


平頂山事件:
抗日ゲリラと通じているとの疑いをかけられた平頂山部落の住民が虐殺された事件.
この事件については,はじめて知った.


満州へ移住した朝鮮人についての記載.
好んで移住したわけではなく,日本の植民地政策によって生活できなくなり「泣く泣く」移住したということである.


在日朝鮮人の数および渡航者の数の推移.
1945年時点で2百数十万人に達していたという.


大東亜共栄圏を巡る双六.
日本の雑誌文化の中で「双六」の持つ位置はかなり重要だったようだ.
「表象系」の研究者がいろいろと文章を書いていることだろう.


大阪空襲の後の街の様子.
大阪城が遠くに見える.空襲は市民をも巻き込んだ無差別攻撃である.一方で戦勝後のアメリカの便宜のため「破壊されなかった」建物もある.
戦争は誰がどんな目的でなん(誰)のために行うのだろうか?
                                                             このページの先頭へ
3.大阪歴史博物館
最後は大阪歴史博物館へ.


難波宮の再現.


大阪の自然の湾岸線と現在の湾岸線の対比.


やたらと豪華な展示に圧倒されつつも....


このエンターテインメント性の陰で,見落とされている者やモノやことがありはしないか?という気持ちがぬぐい去れなかった.


3つの博物館に共通していたこと:
展示対象を見せようとする努力はもちろん共通してみられた.
同時に,展示に携わる者たちの顔があまり見えなかった.どんな組織に所属し,どのような意志や主義主張を持ってこれらの展示に関わっているのか.そのような「表情」はほとんど見えなかった.
(余談だけど・・・・大阪人権博物館では女性博物館員(学芸員)が我々のために団体向けの見学案内を10分ほど行ってくれたのだが,「来客」の多さゆえか,あるいは私たちの緩慢な動き?に気を悪くしたのか,少々苛々したような雰囲気を終始発していた.もう少し友好的な雰囲気ならば,学芸員としての視点からいろいろと考えていることをうかがおうと思ったのだけれど.残念)

3つの博物館を見て:総括
さて,この3つの博物館のうち最も見応えがあったのは...午前中に訪れた大阪人権博物館だった.展示する者たちの考えていることや伝えたいこと,展示に登場する人びとの気持ちや伝えたいこと,そうしたものが3館のうち最も強く伝わってきたからだ.

ピースおおさかは,戦争の悲惨さを伝えるという役割は十分に果たしているが,一部展示に見られる過度にダイジェスト的な展示方法,徹底されていない説明文の多言語表記,説明文の趣旨の曖昧さ,入場口の館員の手際の悪さ(どうしてだろう?)などに,なんだか「やる気」の限界を見たような気がした.戦争の過程や結果も大切なのだけれど,戦争という行為に至る要因とか,それを防ぐための手だてとか,そういう点にきちんと踏み込んで欲しいと感じた.だって「ピース」おおさか,なのだから.そんなことは簡単にできる事じゃないのは分かっているけれど,それを検討し続けるための場所も設備も立場もこの施設は持っているはずだ.その矜持を忘れないで欲しいなと思った.

大阪歴史博物館は正直言って金に飽かして大きな建物を造って豪華な設備を使ってきらびやかで見応えを出した,という感じだ.とにかくその設備に目を眩まされてしまって,大阪に生きるさまざまな人びとの暮らしの実態がたくさん取りこぼされてしまっている気がする.小中高で読んできた教科書の歴史が「国史」であるとするならば,これは大阪府推奨版の公的な「府史」.在日の人も,華僑も,同性愛者も,児童虐待も,戦争の陰鬱さもほとんどと言っていいほど見られない,そんな博物館であった.この博物館,まさかとは思うけれど大阪府や大阪市の公務員さんの「天下り先」になってないでしょうね?

夜のミーティングでのツアー参加者への問いかけ
1.3つの博物館のうち,どれが素晴らしいと思ったか.その理由は?
 ・「テーマそのもの」と「テーマの見せ方」両方に注目しよう.
 ・博物館も「メディア」の一つである.ということは「見せている人たち(展示主催者)」への注目も必要になってくる.
2.人権博物館にこれから増設されることが必要だと思うテーマは?
3.台湾で平和博物館や人権博物館を創るとしたら,どのようなテーマが考えられるでしょうか?
 ・原住民は必須であろう
 ・外籍勞工や外籍配偶という声が聞こえてきたのは良かった

第9日目 2010年8月7日(土曜日)                                      このページの先頭へ
午前:
「写真で見る神戸大空襲」の会場のお手伝いと見学.
ピースおおさかの博物館で見た戦争,幸之助さんが語ってくれた「大阪空襲」と生野の街,仁鳳さんの朝鮮戦争体験.日本という国家や日本に住む人々にとっての8月という月のもつ意味.そして,今日も新たな戦争の体験を耳にする機会を得た.



写真で見る神戸大空襲 焼炎の記録パネル展


会場である神戸市教育会館の全景.



主催は「神戸空襲を記録する会」


1945年2月4日,3月17日,5月11日,6月5日と4回の空襲を経験している.


広い範囲が爆撃されている.
が,あえて対象空襲対象から外した地域もあったのでは,という見方がある.その意図は?右に示した内橋克人さんという人の文を読んでみて欲しい.


これは内橋克人さんという経済評論家の寄稿文.
空襲に際して「戦勝後」の占領統治上のアメリカの利益を考えて,空襲対象を選んだという記述がみられる.

戦争というのはいったい何のために行われるのだろうか.



空襲前に撒かれたビラ.
「(前略)ご承知のように人道主義のアメリカは罪のない人たちを傷つけたくありません.ですから裏に書いてある都市から避難してください(後略)」


防空頭巾,名札には名前や住所に加えて血液型が書いてある.


教育会館内で入手したチラシ.


神戸空襲を経験された石野早苗さん.体験を語ってくださった.

早苗さんは3人姉妹の三女.縁故疎開先の奈良から神戸に里帰りをしていた1945年3月17日の夜に空襲にあった.
焼夷弾が右手に直撃.日本手ぬぐいで止血してもらう.母と共に入った防空壕の中で,じっとうずくまっている女性を目にして「ああ,死んでしまうんだ」と感じたという.
父と姉が探しに来てくれて,一緒に道場国民学校へ避難する.夜明け方に病院へ行くが,上腕部で切らざるを得ないと告知される.父は「なんとか肘から先にしてくれ」と懇願するも...エーテルをかがされて,のこぎりで切断し縫合.
次女はのちにお骨の状態で見つかる.(右欄へ)


(左より続き)
戦後
・「手は生えてこないんだ」と感じたこともある.おサルさんの手でも良いから,欲しいと家族に言ったこともある.
・義手をしていらっしゃる(実際に外して見せてくださった.初めて義手というものに触らせていただいたが,想像以上に「重い」と感じた).
・現在は,お子さんがお二人.お孫さんが5人.お子さん,お孫さん共に全員男の子.
ご自身は証の方で暮らしていらっしゃるが,やはり生まれ育った神戸が好きなのよね,とのこと.

・あのときの焼夷弾がもしかしたら頭に当たっていたかもしれないと考えると,「生かされている」と思う.
・体験を語る活動は12年ほど前から行っている.


左は米倉澄子さん.やはり空襲の経験者のお一人だ.
「(二人は)同じ歳だけれど,ぜんぜん経験が違うのよ」とおっしゃっていた.
                                                             このページの先頭へ
午後:
鷹取地区夏祭りのお手伝いとお祭への参加.
ミケランジェロ神父とも再会.なんとビールをごちそうになってしまった.
震災後の鷹取地区の復興に関わっていた神田神父とも初めてお会いした.
FMわぃわぃの金千秋さんとも再会.


祭の前の様子.


祭の準備開始.学生たちはしっかりとお手伝い.私も少しだけお手伝い.


子どもたちも集まってきた.


まだ陽はあるけれど,子どもたちが続々と集まってきた.ボールすくい,懐かしい.
お祭りは震災前から行われているそうだ.


さまざまな石・玉を扱うお店を持っていらっしゃるおじさん(表札から察するにタニガワさん).
もともとは鳥取出身のかた.神戸は国内外のいろいろな人たちが集まる街であるということを再認識(ちなみに私松永の父・母も九州から阪神間に出てきて知り合った.私は西宮生まれ).

震災の時,このお宅は奇跡的に残ったそうです.ただし,家の中は大変なことに.
そういうことを経て今を生きていらっしゃる.


「持っていっていいよ」ということで,記念にいただいた腕飾り.ありがとうございます.毎日はめさせていただいています.


祭の賑わい.


日も暮れてきていよいよ祭も本番です.
学生たちは,盆踊りを上手に踊っていた.こういうパフォーマンスの卓越ぶりにはいつも感心する.


おばあちゃんもお祭りに.世代をわたって受け継がれる地域の催しのちから.

鷹取地区の言語表示


やっぱりゴミだ,なぜ,ゴミはここまで大きな・執拗な「多言語化の対象」となるのだろうか.


街の掲示板.私がこれまで生活してきた街にもあったのだろうか.箕面市外院,城東区野江,箕面市紅葉ガ丘,池田市井口堂...思い出せない.


こちらは郵便局.




甲南大学中畠ゼミの学生,大西さんは連日のように今回のツアーに参加してくれた.
彼女の実家である豊能には秋鹿という銘酒がある.そんな話をしていたところわざわざ持ってきてくれたのがこのお酒.
美味しかった.
第10日目 2010年8月5日(木曜日)                                         このページの先頭へ
神戸ツアー最後の日.各自が興味関心のある場所を訪問する.異人館に行く,という声が多かった.
私は,燕先生,薫と共に神戸学生青年センターに行く.その後,薫と共に神戸のモスク及び異人館へ

1.神戸学生青年センター


神戸学生青年センターの書籍売り場.小さいながらも哲学を感じさせる品揃えだ.


日本の本は高いんだよなあ.


後ろ髪を引かれる思いであったが,その場を離れる.

2.神戸ムスリムモスクへ



ハラール(イスラムの教えに基づききちんとした手続きを経て加工・調理された食材)のお店を発見.




スパイスなども売っていた.


ハラールのレストラン.


こちらはトルコ料理店


イスラムの雑貨屋さん.


全景.
神戸にモスクがあるという話は前から知っていたがなかなか訪問する機会がなかった.今回やっと訪問できたので良かった.


神戸ムスリムモスク(教会)と書いてある.
キリスト教のイメージもあって,日曜日の礼拝で人が多いのではと想像していたが,実際には静かだった.


入り口で靴を脱ぐ.男女は別々の場所から内部へ入る.男性は1階.女性は2階.

同行した薫曰く,子どもたちのアラビア語教室と思われる活動が行われていたそうだ.


お祈りの場.


お祈りをする時間などが書いてある.


書籍が見られる.コーランなどの聖典かな?


モスク訪問は歓迎されているようだ.もちろん,規則を守ることが大切.


外国人向けのパソコンを使った漢字教室.


モスクの歴史について説明されている.神戸大空襲では被害を免れた.

3.異人館


日曜日ということもあって人が多い


神社からのながめ.


またもや多言語表記.


美しい.しかし,有料の施設が多い.


こんな街角の様子がよかったりする


バプティスト教会.
イスラムモスク,神社,バプティスト教会...たくさんの人びとが集まる街にはたくさんの神様も集まってくるのだ.関帝廟に行けなかったのは残念.

午後3時頃,全員が平尾記念セミナーハウスへ戻ってくる.最後のミーティングを行い,各自,自由旅行へ旅立つ.みんな,お疲れ様でした.
ゆっくりと旅を楽しんでください.
9月以降,報告会や報告書作成が待っています.がんばりましょう.
今後の予定・ツアー報告会と報告書                                     このページの先頭へ
今後,ツアーの報告会が行われる予定です.
また,ツアー参加者のテーマ関心と感想が盛り込まれたツアー報告書も作成される予定です.
詳しい情報は,追ってお知らせします.
感想・雑記(未整理ではありますが)                                    このページの先頭へ
感想をとにかく列記します.

このツアーのまとめをしなければならないのだけれど(2010年9月22日追記)
どのように総括するべきか,あるいはどのような点にフォーカスするべきか.考えがまとまらずちょっと困っています.
お会いした皆さんの経験を貫く「キーワード」があるように思うのですが,「これだ」というものがこの手で掴めていない.そんな感じです.
8月26日付けの下記のころから今日まで頭のなかのまとめが進歩していないのが辛いところ.

近代化=進歩という史観・優劣/比較というものの見方
戦争・対外拡張主義と「守る」という行為(守るべきもの=自分のものという認識の根源についても)
近代における「勝者と敗者」(誰がジャッジするのか.勝った者?)
移動:強要と自由・生きようとする人間の力強さ
・・・・・

まとまらないです.

人の半生を記すことの是非・難しさ

今回のツアーでは,たくさんの方から伺った話をメモ用のノートブックにとにかく文字として記録しました.そのノートをもう一度読み返しながら,撮らせていただいた写真をもう一度見ながら,今回,このページを作成しました.

他者の経験を本人になり代わって,しかも断片的に,書き,それを公開することにどのような「理」や「意義」があるのか.私は,未だに明確な答えを見出せません.
しかし,今回お会いした多くの方々が,自分の体験を伝えることや,人と人とが語り合うことに対して積極的な考えをもち,行動している方々でした.そこでうかがった貴重な話を,私(松永)の頭やノートの中に留めておくのではなく,私の解釈が入ってしまうことを覚悟しながら,とにかく多くの方に伝えてみる,その一心でなんとか,ここまでページを作成してみました.
お話を聞く,お話を伝える,プラス,松永個人も自己の経験にも照らしながら見解を述べる.改めてお話を聞く,今度は私の(しょぼい半生ではありますが)話も聞いてもらう,会話する,対話する,見解を述べ合う,意見を出す,未来について語る,展望を述べる,そしてまたそれをまとめる,記録する,公開する.こういうことを「ぼちぼち」でいいから行っていきたいと思います.

・大阪神戸で「越境・移動・定住」の体験者の方たちと交流して見えてきたこと:

近代とか近代化というものが我々の生活の根底にあって影響を及ぼしているという事実の再確認

近代・近代化にはさまざまな特徴があるだろう.キーワードを挙げるならば「経済(成長)の追求」=「資本主義」,「国民化」.→近代化とは経済と結びつく「ハード」と「ソフト」両面を沿い合わせて新しい「集団」を形成する行為であるということ
経済:資源の確保,領土の拡張,経済行為を理解する人民の育成(教育)・・・
国民化:経済発展を促す労働力の確保,言語統一,思想形成・・・

近代・近代化を巡って日本の人たちが「日本人化」していった(日本人化されていった)こと.「日本人化」には「基準」が必要でありつまりは「基準からの逸脱」が同時に生じた.その逸脱は,基準に適合した者たちからは,差別によって遇された.この「基準」は近代化の「進展」のなかで都合良く「拡張・縮小」が行われた.「日本人づくり」においては,「天皇と人民の関係」が言説として利用された.ときに「日本人にさせてやる」「日本の名前を名乗らせる」というように.そして「日本人として戦う義務」も同時に科せられる.女性・男性の役割も示される.「中間的」とか「どちらでもない」は考えもつかない.
戦後,こうした戦前の「基準」とその拡張や縮小はすっかり忘れ去られ,民主主義が急速に流布・称揚されると共に,日本の人びとはあたかも古くから単一のゆるぎない民族であるかのような認識ももたれていく.この過程では,「教育」「メディア」などのさまざまな装置が動員されたのであるが,装置の作り出す作用に取り囲まれている私たちにとって,その装置の存在や作用に気づくことは簡単なことではない.

移動と教育

同化/統合・文化継承

人と人が交わること・人と反目してしまうこと


                                                                   このページの先頭へ